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欧州編 行程マップ  パリへの道のり
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南ドイツの車窓 フランクフルト発パリ行のEC(ヨーロッパ特急)に乗って3時間。
独人ビジネスマン、非番の独国鉄職員、小学生、仏人母娘、様々な人が、我々のコンパートメントに乗り込んでは去っていった。「こうやるんだよう!」非番の独国鉄職員には、クーラ代りの窓の開け方が広過ぎると、風に乱れた髪を振り乱して怒られてしまった。ドイツ語でごめんなさいはどうだったっけ(エント シュルディグング)。機会を失い言わずじまい。

 列車は森だらけのドイツから、見渡す限り丘陵地が広がるフランスへと入っている。ときどき黄一色のヒマワリ畑が見え、急いでカメラを向ける。「まるで北海道ね。フランスの田舎って」




ひまわり畑 フランス北東部の小さな町メッスのホームから列車が離れようとする時、ホームからではなく線路から、10人程の若者の一団が血相を変えて、動きだした列車に乗り込んできた。
乗り込むなり彼等は、後方へ過ぎ去ろうとするメッスの駅に向かって、なにやら大声でわめきだした。
ホームにも仲間がいるようで、同じわめきが聞こえる。
蛍の光の節で「ゼーオ、ゼーオ」と繰返している。
彼等の格好はというと、ジーンズにポロシャツ、首には、お揃いの緑色の太い組紐に、それぞれ好き勝手な金具を付けている。
荷物は中型のザック程度。
年の頃は20歳前後だろうか、上気し、変に真剣な雰囲気は、どうもアルコールのせいらしい。
"スポーツの大会帰り"。さらには彼等の風体から"オリエンテーリングの大会の帰り"と推理した。
 定員8名のコンパートメントに、我々2名以外に10名が押しかけてきたものだから、席はギューギューで、通路にまであふれている。今までの静かでリッチな雰囲気は吹き飛んでしまった。
 怪訝そうな我々に対して、リーダー格の青年が、我々の席を確保するようメンバーに注意したあと、かたことの英語で懸命に説明してくれた。それは、次のような内容だった。
「我々は、今日、兵役が明けて、訓練地からそれぞれの家庭に帰るところである。首の太い紐は認識証であり、付いている金具は認識バッチや手榴弾の安全ピンなどの記念品である。」



フランス国鉄 話してくれた彼は、小柄で浅黒く、褐色の短かいちぢれ毛に、目の大きな、明るい表情の青年である。
左手には、結婚指輪が見えた。
「兵役が明けてハッピーだ」と言っていたが、彼等の表情と歌を聞いている限り、単なる「ハッピー」だけではなさそうだ。
ブランデーのビンを回し飲みし、ビールの小瓶をワンカートン空にし、誰からともなく「ゼーオー(ゼロ)」の歌を大声で合唱する。差し出された室温のビールで、私も一緒になって乾杯していると、切なさが伝わってきた。
1年以上も一緒に汗し涙した同胞との別れ、ある意味で充実していた時への別れ、国家権力の枠からの別れなど、複雑に入りまざっているのだろう。
 窓の外には、ひまわり畑が見え隠れし、やがて家並が見えはじめて30分後、我々を乗せたヨーロッパ特急は、「ゼーオー」の歌声が半円形の屋根に反射し、駅全体から、地の底から、うなりのように沸きあがっているパリ東駅に到着した。


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