<旅ということ>       

 「旅行って一種の現実逃避ですよね」と話を切り出すと、ほぼ全員が
「そう言われれば、その通り現実逃避だね」と同意してくれる。
"変化のない平々凡々とした生活から、一時逃避して違う世界へ行ってみたい"との願望を、
旅行が叶えてくれるのだ。
都会の人は、人ごみのない田舎でのんびりとしたり、温かな人情にふれたいと思い、
逆に田舎の人は、刺激的な都会に憧れ、遊園地で気分をHighにしようとする。
つまりは、日常とは逆の世界へ逃避するのである。
だからこそ、人によって「あそこは良かった」「いや、あそこはツマラナイ」と評価が分かれるのは、
しごく当然のことである。
カナダの一番英国的な町ビクトリアにて
 欧米人の旅の考えについて、「えっ?」と思った事柄を列挙してみよう。
大混雑の観光地のニュースを見て、日本人は「きっといいところに違いないから行ってみたい」と地図に○印を入れるが、欧米人は「あんな混雑する所へは絶対近づかないようにしよう」と地図に×印を入れる。

 ジャスパーのラフティングへ向かうバスの中で一緒になった老夫妻へ、「ジャスパーは相変わらず小さな町ですね」と言うと「小さい町だからこそいいんだよ」と返ってきた。

 ニセコのスキー合宿で、アフタースキーお決まりの部屋の中での宴会用に、酒やつまみの買出しに通りに出ると、通りをそぞろ歩いている90%がオーストラリアからのスキー休暇の方たち。
旅先の土地の空気と時間を、大切に掬い取っているかのようだった。
欧米人と我々の旅の考えに、大きな違いがあるように感じる。
ひょっとしたら日本人は、みんな大いなる田舎者なのかも・・・。

追伸
 先日、神戸へ遊びに行った。ポートアイランドのコーヒー博物館で勉強して、ポートライナーで三宮へ。
ガード下の店を冷やかしながら元町経由、南京町で食べ歩き、モザイクでのウインドショッピングの行程。
けっこう楽しかった。こんな「感動を探しに行く」のも旅行の動機だろう。現実逃避という後ろ向きの言葉でなく、こういう言葉もいいかなと。

<思い出深い旅とするために>

 先日、ハニーから
「大英博物館展をやってる神戸市立美術館って、前に行ったことのある美術館でしょ?
あの時は何を見に行ったんだったっけ・・・」
と問われて、「う〜ん」と考えてしまった。世界的に有名な美術館展だったはずだが、覚えていない。
 他の美術館の特別展についても然り。まったく記憶に残っていない。
見せ方に拘ったことでは世界屈指のロイヤル・ブリテッシュ・コロンビア博物館でさえ、
覚えているのは、入り口すぐの「インデアン文化」と垂直・水平移動エレベータでの「深海探検」と
「開拓時代のカナダ西部のジオラマ」位のもの。あとの記憶はすっからか〜ん。

 なぜに印象に残らないのかと考えるにあたって、逆に印象に残っているものを挙げてみた。
大原美術館と、花博、明治村、リトルワールド等の野外博物館。
まず、地元の大原美術館へは何度か出かけ、何度も同じ絵を見ることで、年月を経て薄れかける記憶へ上書きしているためだろう。
その他のものは屋外の回遊式展示物。体を使って移動し、五感を使って感じ取った記憶である。
どうやら美術館の絵の印象・記憶との違いはここにありそうだ。

 旅においても、体と五感を使って感じるか否かで、印象の差・思い出の深さの差は非常に大きい。
私が、単なる観光はするな!自分で動き、自分で探して体全体で感じ取れ!と言っているのはこのことだ。
観光地を見るな!観光地をdoせよ!