田舎修理工場都会へ 筑波参戦!





な、なんてこった!







まあ〜動く様になったし、プレートも取得。 限定的ながら、各地のイベントへも参加。いろんな方々にも乗ってもらった。

かねがね?この「自転車バイク」を囲む仲間内 “ The Kinme kyou ”(笑) で、冗談交じりに話していた「事案」・・・アリ。


5〜6年程前、富士山のふもとで、360cc のミーティングがありました。 その際、オーツキ ダンディー号も同伴(笑)
ダンディー号も、その地には、浅からぬ関係があった・・・と、後にオーナーから伝聞。

オーツキ ダンディー号の直系会社が、富士のふもとに在るそうです。

このイベントで、ダンディー号を、不思議な表情で見つめる「紳士」に遭遇しました。
お話の内容から、直感的に関係者の方と、感じましたが、初対面って事もあり、過剰な質問は “無粋” ってモン。

記事内容に記載した様に、オイラ達、実はこの自転車バイクに関して、歴史的背景とは全く無縁で
「生沢 徹」 昭和33年、浅間火山・クラブマンレース オーツキダンディー号(U型)で参戦 って内容すら未知との遭遇。

オイラ達の過ごした10代の「幼い危険なオートバイ生活」と、15〜6年程度の “ズレ” が存在するからです。
大槻工業の命運も含めて、そりゃ、正直 偶然入手した雑誌の記事から得た史実・・・でした。

その後付・Optionな(汗)史実に感化され、

生沢さんに、サイン貰おう!タンク上面に・・・って、まるで、「ガキのノリ」で話し合ってましたが・・・



都内某所の Mr.F氏 の御尽力により、直筆のヤツ・・・戴きました〜。 

おっ、おそれおおい・・・コトだ〜(大汗)とは、内心、想っていましたが目前に実現!!





そんな経緯と敬意(汗)で・・・先の 冗談交じりに話していた話題の「No2」

コレで、大槻工業・直系の “ 親方 ” にサイン、戴いたら・・・この “ 機械 ” の公道復帰作業・・・終結。


位置は・・・ベルトカバー、Dandy の “ 紋章 ” の真上。


如何に当時と比べたら、超〜情報化社会!でも、この最終目標は完結しない?なぁ・・・たぶん。

オイラ達も、もう?そんなに?若い!って言えないし、一通りの事、経過したし・・・もう?・・・イイっか・・・。

オイラと同い年のコノ自転車バイク。 でも、「ソレでどうなる?」って “ 下向きな分別 ”な?歳でも無い気もする。

大きな夢や希望も食傷気味だし、こういう?身近で田舎な会話や感傷?ぐらい・・・許されてイイ〜とも?想う。

 少なくとも、 邪魔にぁ〜なら無ぇ。 
 
そりゃ、趣味おっさん達の “ せんちめんたる ” で? 残りの人生〜 “ 動き回る?目標 ” ってモンでもある。

機械モンが好きだ! って、 “ きっかけ ” は「ガキのノリ」だけど、そこはソレ、群がる人間群も既に “ 旧車 ” (笑)


造った、乗った、シゴトした・・・辛かった、泣いた、笑った、感動した〜・・・コノ一台に巡る、半世紀超〜な、波乱万丈〜無限なエトセトラ。

いろんな物(笑+涙) 引きずっているモンだぁ〜 何処の誰だって、何だって。

最近 ボケをカマしているのか?「涙も出ないほど辛かったコト」さえ、淡い感傷に浸るコトさえあるけど・・・(大発汗)


 <最新型>と比較するんじゃ無ぇ!って内心では?叫びながら    


1956年製   動いています。







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