関東神経生理検査技術研究会 会長のご挨拶
関東神経生理検査技術研究会を発足して15年が経過し、石田哲浩先生が慶応義塾大学病院をご退官されるのを機に会長を交代することになりました。平成元年(1989年)に本研究会は前身の日本医用エレクトロニクス技術者会の解散を受けて、関東地区会が独立したもので、当時の会員全員が移行に同意してそのまま石田哲浩先生を会長に独自の道を歩むことになりました。この時、北日本地区会が北日本ME技術者会として発足致しました。
石田哲浩先生は昭和40年3月に関東脳波検査技術者会を発足し、初代会長にご就任されました。この年は現在日本臨床神経生理学会が主催している日本臨床神経生理学会技術講習会の前身の脳波筋電図技術講習会の第2回目(金沢市)が開催され、同年に発足した日本電気生理検査技術者会(昭和46年の臨床検査技師法施行に伴い日本医用エレクトロニクス技術者会と改名)がそれ以降平成元年の全国会解散まで脳波筋電図技術講習会を主催しました。
私は昭和43年に関東脳波検査技術者会に入会致しました。当時使用していた脳波計は前置増幅器が真空管でオートセンターリング機能がなかったので、増幅器のバランスが崩れるとペンが跳ね上がって戻って来ないので、各ペンの横に付いているセンターリング用のボリュームを常に調節しながら記録したものでした。勿論、ハムフィルターなどはありません。このような脳波計を操作するには基本を理解していないと記録ができませんでした。石田哲浩先生がことあるごとに基本・基本と基本の重要性を説くのは正確な脳波記録を如何に患者様と診療に当る先生に提供するというプロ根性が培われていたからです。当時は石田先生のようなプロの脳波技師が数十名おりましたが、皆さん退官されて石田先生が最後の一人になってしまいました。この度石田先生が退官されることで最後のプロの脳波技師が現役から姿を消すことになります。残念なことにわが国ではプロの脳波技師を育む下地が少なくなっているので、次に石田先生を超えるプロの脳波技師が出てくるのは難しいでしょう。現在は基本を知らなくても電極さえ正確な位置に付けることができれば、マニュアルどおりの記録はできます。しかし、その記録が正確かどうかは記録した技師自身が分からない状況です。残念なことにこの環境を作ったのは旧日本脳波・筋電図学会(現日本臨床神経生理学会)の責任が少なくありません。脳波の報告書は医者が書くもので技師に書かせてはならないとしたことです。このことは国際脳波学会勧告の冒頭にも同じ内容が記されております。記録する技師が患者様の病態を理解して、それにあった記録を行い、自分で所見を書くようになればただお座なりにマニュアルどおりに脳波計のスイッチを押しているのではなく、所見を書き易いようなメリハリのついた記録になります。現在、脳波判定医が激減している状況を救えるのは実際に脳波を記録している技師に他なりません。如何に名医でもいい加減に記録された脳波から得られる情報はありません。今から20年前まだ脳波に精通した医者が多かった頃に技師に報告書を書かせる制度を立ち上げていれば、現在のディジタル化・ペーパレス化の対応が全然違っていたはずです。しかし、残念なことに未だに技師に報告書を書かせてはならない医者の独占業務と勘違いをしている先生方が現存している事実は嘆かわしいことです。私たちが報告書を書くということはそれが最終目的ではなく、そのような目で脳波を記録するための手段なのです。私は高齢者の脳波に興味を持ってそのことを一層切実に感じました。高齢者の脳波を殆どの施設で技師が見逃しているために、判定する先生が気が付かないのが現状です。まして紙記録ではいくら見直したところで新しい所見は出てきません。これも技師は撮りっぱなしで責任がないための弊害でしょう(本ホームページの「老人脳波はこう撮らないと分からない」をご参照下さい)。
幸いなことに当会会員のような脳波を勉強してより良い記録を提供したいと思っている技師がたくさんおります。そのような技師の後押しをして第2・第3の石田哲浩を世に送るために尽力致します。
会員の皆様一人一人が当会を盛り上げるために会の運用や講習会のテーマやこの先生の話しが聞きたいとかのご意見をメールでお聞かせ下さい。
以上、なお一層のご協力をお願い申し上げます。
E-mail:suenaga@aoki-hospital.jp 平成17年2月9日
関東神経生理検査技術研究会会長 末永 和榮