備前 常山城 (つねやま)    女軍の悲しい奮戦

<常山城データ>
所在地玉野市宇藤木
築城年代1400年代後期
築城者上野土佐守
主要城主上野氏、戸川氏
種類、形式山城、有力武将の居城
遺構、現状石塁、堀、井戸


 児島富士と呼ばれる標高307mの美しい山の山頂に常山城があり、戦国期には毛利氏、宇喜多氏の2大勢力に翻弄された悲話をもつ典型的な城。 その悲話とは「常山合戦」として知られ、女軍の奮戦が今に語り継がれている。
 築城時期は不明であるが、史上判然するのは、明応のころ(1492-1500)に、福岡合戦で活躍した上野土佐守が築城して以降のことである。 その後隆徳までは上野氏のもので、天正以後は毛利氏より宇喜多氏に移り戸川氏が在城し1603年に廃城。また、廃城の時の資材は下津井城の改築に利用された。

左は常山城遺構図
城の縄張りは本丸を中心にVの字に広がっている。

常山の遠景 切腹岩・本丸跡 本丸跡の石垣
児島富士とよばれる、標高307mの山の頂上に常山城がある。
八浜城から撮影)
上野隆徳がこの場所で自害したと伝えられる「切腹岩」。 本丸の南側・兵庫丸から見た本丸の石垣。
女軍の墓 惣門(そうもん)丸 栂尾(つがのお)二の丸
北二の丸にある34基の女軍の墓。 城郭の最も東に位置する惣門丸。 駐車場のある栂尾二の丸から本丸まで約200m。本丸までの比高は約30mくらい。
栂尾丸の石垣 城跡からの眺め 幽林堂
城郭の最も北にある栂尾丸の石垣。栂尾丸にはNTTの電波中継塔が立っている。 城跡から東側を眺めると遠くの一番高い山が金甲山。右の大きな山の尾根が麦飯山城のある山。 登山口から少し登った所にあり、上野氏の後の城主・戸川秀安の墓。名前の由来は秀安の法名「幽林」から。

<常山城合戦> (1575年・天正3年)
 毛利氏の三村氏撲滅作戦(天正の備中平乱)の最終
毛利氏の三村氏撲滅作戦で備中松山城の三村元親を滅ぼした後、元親の妹婿で三村氏の最南端の拠点、上野隆徳の常山城を攻略。
城兵わずか200人余りでは、毛利の大軍を相手には勝ち目も無く、城主の妻・鶴姫以下34人の女軍も討ち死にし、城主の隆徳は自刃して滅亡。

<湊山合戦> (1575年・天正3年) 常山合戦の約2週間前の前哨戦
毛利氏が常山城を孤立させるため、常山城周辺の上野氏方の居城を次々と攻略に成功し、これにより完全に常山城を包囲する。
 攻略された主な上野氏の支城
湊山城(倉敷市・山田源次郎)、 戸山城(玉野市・水沢和泉守)、 備前鬼身山城(玉野市・加地守国)、 麦飯山城(玉野市・城主不明)、 雨乞山城・横田城(玉野市・城主不明)、 鼻高山城(倉敷市・上野兼次) 片岡城(灘崎町・城主不明)


<登城難易度> 易 ランク3
細い道ではあるが城跡のすぐ近くまで車で行ける(P約20台)。麓から歩いての登城ならば、結構きつい。

<登城メモ> (過去に10回前後)
この城跡は女軍の悲話で有名だが、石垣などの遺構も沢山残っていて見所も多い。ただ、頂上の城跡付近には、電波中継用の高い鉄塔が建ち並び多少の違和感も感じる。


<付近の一押し観光スポット> ファーマーズ・マーケット、サウスヴィレッジ

城跡のある常山の麓の干拓地にある農業公園。ここでは、地元で取れた新鮮な野菜・果物などを販売。 また地ビールが飲めるレストランや、農業関連のアトラクションや展示品などの施設が充実。

 入場料500円。現在は無料になりました。


<交通> 地図 JR宇野線常山駅から登山口まで徒歩で数分、城跡まで徒歩で40分程度。 岡山から国道30号線経由の玉野、児島方面行き両備バス宇藤木停留所から登山口まで10分。 また、車で登ることも出来る。(Pは栂尾二の丸)

[岡山・登城リスト] [岡山・古城リスト]