備前 新庄山城 (しんじょうざん)    宇喜多直家が一時在城

<新庄山城データ>
別名奈良部城
所在地岡山市竹原
築城年代1500年代前半
築城者新庄助之進
主要城主宇喜多氏
種類、形式山城、有力武将の居城
遺構、現状土塁

 この新庄山城は、宇喜多直家が城主を務める二つ目の城である。 最初に築いた浦上氏勢力圏における最前線の乙子城よりは少し内陸に入ったところにあり、徐々に浦上宗景の本拠地・天神山城に近付きつつあり、宗景からの信頼も厚くなっていたのが覗える。 新庄山城の築城年代は不明であるが、直家以前の沼城(亀山城)城主・中山備中守の家臣・新庄助之進の居城と伝えられていて、1500年代前半と推測されるが、現在の遺構の殆どは、宇喜多時代に改修されたものである。
  右の写真は北西側から見た新庄山

新庄山城 本丸跡 城跡からの眺め(南側)
登山城入口にある碑石。 頂上の本丸の広さは20m四方ぐらいで、現在は石鉄神社と呼ばれる小さい祠があるのみ。 中央には直家が最初に築いた乙子城が見え、その向こうは児島湾と児島半島。

<宇喜多直家の居城の経緯>
 天文18年(1549)、乙子城主・宇喜多直家は、砥石城主・浮田大和が主君・浦上宗景に背いたとし、宗景の軍勢と協力し砥石城を攻め、大和を負死させた。 この時の恩賞として宗景から新庄山城が与えられ、乙子城から移ってきた。
 永禄2年(1559)、亀山城主・中山備中守と砥石城主・島村肥後守とが、主君・浦上宗景に対して謀反の噂があった。 宗景は直家に命じてこれを誘殺させた。この功により直家は亀山城(沼城)を賜り、新庄山城から移った。
 その後、新庄山城は家臣に守らせていたが、直家が岡山城主となった時、この城は役目を終え廃城となった。


<登城難易度> 難 ランク7
城跡は右の図の左側(東)の山頂。
右の図にある様に新庄山の北側の三徳公園(P100台以上)から二つの登山道があり、 一つは西側(右)から緩やかではあるが、距離の長い道と、東側(左)の距離は無いが極めて急峻な道。 緩やかな道なら約1時間、急峻な道なら普通は20分程はかかる。

<登城メモ> (2001年10月)
半年前に一度、急峻な道からの登城を試みるも、ほんの数メートルで断念。 今回はリベンジに燃え、ストップウォッチ片手に気合を入れて休憩なしで一気に駆け登る。 タイムは7分30秒と大満足・・・。(?)一体何を目指してこの山に登ったのか・・・。


<付近の一押し観光スポット> 三徳園

正式名は、岡山県立青少年農林文化センター三徳園で、園内には四季折々の木々や栽培展示園などがあり、また農業に関する展示館もある。

右の写真は、その展示館で、明治35年に建築された県立高松農業高校の本館を現在の場所に移築復元したもの。

 入場無料


<交通> 地図 JR山陽本線・上道駅から徒歩約20分。山陽自動車道・山陽ICから南へ約10分。

備前覇者・宇喜多直家ゆかりの城
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