備中 庭瀬城 (にわせ)    撫川城から拡張 沼城の典型

<庭瀬城データ>
別名芝揚城
所在地岡山市庭瀬
築城年代戦国時代
築城者三村元親
主要城主戸川氏、板倉氏(2万石)
種類、形式沼城、戦国武将の居城から陣屋
遺構、現状堀、石垣

 戦国時代に備中松山城の三村元親は、備前の固めとしてこの地に築城した。付近の地名から芝揚城(こうげ)とも呼ばれた。一帯は泥沼地で非常な難工事であった。 その後宇喜多氏の重臣・戸川肥後守達安が入り(1602)古城を広げ城下町を整えた。元禄12年(1699)板倉氏の居城となり明治を迎えた。自然石の石垣を巡らした堀もよく残り、沼城の典型を示している。

庭瀬城跡 清山神社 石垣の残石
住宅地の真ん中に綺麗な石垣と堀を残している。 寛政5年(1793)板倉勝喜は城内に清山神社を建て板倉氏中興の祖・重昌、重矩父子を祀り歴代の遺品を収蔵した。(遺品は現在、吉備公民館に収蔵) 城跡に無雑作に置かれている庭瀬城の石垣の残石。付近で、川の拡張工事をしていて、その川底から引き揚げた物らしい。

<庭瀬城と撫川城の関係>
この二つの城は、最初に撫川城(三村家親)が築かれ、その後に庭瀬城(家親の子・三村元親)が築かれた経緯があるが、関ヶ原以降に戸川達安が撫川城に入城してから、それまでの庭瀬城を取り込む形で拡張していった。
江戸時代は共に陣屋として整備された。


<登城難易度> 易 ランク2
庭瀬駅からすぐ。車では庭瀬の非常に細い町中の道を通るが、城跡北側に2-3のPスペースがあり便利。 また庭瀬城から撫川城まで約300mで駆け足で1分。

<登城メモ> (2001年1月)
撫川城跡よりは、一回り小さい城跡である。これは、大部分が当時の城跡の上に今では民家が建っているからであろう。 また、初めてこの地域を車で訪れた時は、その民家の入り込んだ迷路の様な細い道に苦労した。


<付近の一押し観光スポット> 犬養毅・生家

憲法による政治の確立に尽くし、5・15事件で「話せばわかる」のセリフを残し暗殺された首相・犬養毅(犬養木堂)の復元された生家。 隣接の木堂記念館には、書簡やラジオ演説の模様を収録したテープやゆかりの遺品を展示。

 入場料無料


<交通> 地図 JR山陽本線庭瀬駅から徒歩数分。

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