鬼ノ城 (きのじょう)    古代の壮大な山城

<鬼ノ城データ>
所在地総社市奥坂鬼城山
築城年代奈良時代、700年前後
築城者温羅
種類、形式神籠石式(朝鮮式)山城
国土防衛城塞(推定)
遺構、現状城門跡、石塁など多くの遺構
城跡(国)史跡

案内図  吉備高原の最南端、標高400mの鬼城山の山頂付近に約30万uにおよぶ広大な城跡。
 「日本書紀」によると、朝鮮半島に進出していた大和政権は、天智2年(663年)朝鮮半島の白村江の海戦で大敗し、唐・新羅連合国の日本侵攻を恐れ、九州〜瀬戸内海〜機内の生駒山系にいたる西日本の要所に大野城(福岡県)をはじめとする朝鮮式山城を築城したことが記述されている。
 鬼ノ城については、この「日本書紀」の中には記述されてないが、同様の朝鮮式山城と考えられている神籠石式山城が西日本を中心に16城あり、その一つである。
 また、鬼ノ城からは古代吉備王国の中心地(現在・吉備路と呼ばれる一帯)であった総社平野や足守川流域の素晴らしい景色を望む事が出来る。

鬼ノ城の全景
全景
左の最高地が角楼および西門、右端が屏風折の石垣

<鬼ノ城の構造と規模>
鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような形の山で、斜面は急峻だが頂部は平坦である。この山の八合目から九合目にかけて、城壁が2.8Kmにわたって鉢巻状に巡っている。 城壁は、一般に一列に並べ置いた列石の上に、土を少しづつ入れてつき固めた版築土塁で、平均幅約7m、推定高さは約6mもある。 要所に賢固な高い石垣を築いており、その威圧感は天然要害の地であることとあわせ、圧倒的な迫力をもっている。 このように、版築土塁や高い石垣で築かれた城壁は、数m〜数十mの直線を単位とし、地形に応じて城内外へ「折れ」ていることに特徴がある。 城壁で囲まれた城内には比較的平坦で約30万uという広大なもので、四つの谷を含んでいるため、谷部には排水の必要から水門が六ヶ所に設けられており、また、出入り口となる城門が四ヶ所にある。 城内には、食料貯蔵庫お考えられる楚石建物跡やのろし場、溜井(水くみ場)もある。この他に城内には貯水池とみられる湿地が数ヶ所ある。

角楼 屏風折の石垣
角楼 屏風折

<鬼ノ城の地名の由来>
鬼ノ城は古代の正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た、彼は百済の王子で名を温羅(ウラ)という。 彼はやがて備中国の新山(ニイヤマ)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を強奪したので人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」。 これが一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。

<参照>[鬼ノ城.5] 「桃太郎伝説=温羅伝説」 と 「新説・温羅伝説」


<登城メモ> (2000年9月、2001年5月ほか)
ここ数年で何度も訪れているが、年々整備が進んでいて非常に歩き易くなった。最初に訪れた時は、本当に鬼でも出て来そうな不気味な城跡だと感じたのが嘘のようである。
また、この城跡はかなり巨大ではあるが、頂上の城跡自体は割と平坦で、景色も素晴らしく、手軽なハイキングを楽しむには打ってつけ。


<交通> 地図 JR吉備線服部駅から徒歩1時間くらい。岡山自動車道総社ICから約20分で城跡の駐車場。

鬼ノ城.1角楼、西門
鬼ノ城.2南、東、北門
鬼ノ城.3広大な石垣 屏風折と神籠式
鬼ノ城.4山上仏教の岩屋
鬼ノ城.5「桃太郎伝説=温羅伝説」
鬼ノ城.6ゆかりの史跡

[岡山・登城リスト]