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竹島問題を考える

住所 島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地

竹島 上空写真

2021年4月改訂 2008/11記
領土問題でかつ、韓国側の占拠状態が続いているので本来ならば
国際司法裁判所にて決着して欲しいというのが私の考えです。

ですが、発端は昭和27年、GHQのマッカーサー・ラインの効力切れを見越した韓国が設定した

李承晩・りしょうばんライン

(wikipedia)です。日本だけでなくアメリカも反対しましたが、韓国は無視しています。そんな国ですから対等に議論できる可能性が低い。


また、韓国政府による竹島に関する教育を幼少期から行っていることをふまえ、日本国内でも議論が活発化して欲しいのに日本の実状は静寂に近いと感じております。


私としては、とりあえず自分のレベルでの竹島に関する知識を書き留めるつもりでこのページを起こしました。なお、呼称についてはなるべく簡素に書きたいのであえてひとつの呼称で表現させて頂きます。


最後に、私はネットからの情報のみを基準に記載しておりますので、正当性については読まれた方の良識において判断して下さい。


また、韓国の教育に意見を言う権利は私にはありませんが、「国際的に認められた事実のみを指導すべき」で、他国と係争している領土について、「この島はわが国のものだ」という刷り込みを子供達に行うのは、大変危険だと思います。


正直、政府が刷り込みとか、戦前戦後の謝罪と金銭を他国に求めているようでは、どれだけ経済が豊かになっても国家としては上のステージには上がれないでしょう。

日本の領土になった経緯


wikipediaより引用

江戸時代の竹島は、江戸幕府公認の下で鬱陵島に渡る際の航行の目標ないし停泊地として利用されており、寛文5年(1665年)以降は幕府の許可を得てアワビなどの好漁場としても活用していた。


1903年、隠岐島西郷町出身の中井養三郎が竹島に漁舎を建てて移住し、ここに人夫を移して、アシカやアワビ、ナマコやワカメの漁獲を始めたことを端緒とする。

1904年9月29日、アシカの絶滅を危惧した中井は申請書「りゃんこ島領土編入並に貸下願」を日本政府に提出し、日本海の孤島・竹島の領土編入と貸下げを内務省、外務省、農商務省の3省に対し、願い出た。朝鮮の文献等を調査した上で無主地であることを確認した日本政府は、

1905年1月28日竹島を島根県隠岐島庁へ編入する閣議決定し、内務大臣芳川顕正が「内務大臣訓令」として告示を発布した。これにより、竹島は正式に日本の領土となり、実効支配がここに始まった


島根県が公開している竹島関連写真
https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/
pref/takeshima/web-takeshima/
takeshima06/takeshima_photo/
明治時代に「竹島を所管した」という書類写真があります


島根県が公開している
「昭和28年6月島根県と海上保安庁が合同で建てた領土制札」をカラー化したもの

クリックで拡大します

*画像の著作権は島根県にあります
*カラー化は管理人が行いました

朝鮮で発行された古地図、八道総図による表記
https://ja.wikipedia.org/wiki/
%E3%83%95%E3%82%A1%E3
%82%A4%E3%83%AB:%E5%85
%AB%E9%81%93%E7%B7%8F
%E5%9B%B3.jpg



をご覧頂くと朝鮮半島の東側に

半島寄りに于山島、その東に鬱陵島

という、2つのほぼ同じ面積の島が記載されています。


(余談ですが、この地図に対馬(對馬島)が記載されていることから、対馬も韓国領と主張される傾向があることがわかります)


現在の鬱陵(ウルルン)島(韓国領)
https://ja.wikipedia.org/wiki/
%E9%AC%B1
%E9%99%B5%E5%B3%B6


のカラー地図を見ていただくと、鬱陵島のはるか東(東南東へ約90km)に小さい島、竹島があります。



また、竹嶼(チュクソ)という島が鬱陵島の東2.2kmにあるそうです。同名ですが日本名の竹島とは異なります
https://ja.wikipedia.org/wiki/
%E7%AB%B9%E5%B6%BC



このリンク先には衛星写真および
”韓国の古文書「日省録」には「鬱陵島の北に于山島があり、周囲は二、三里」”とありました。

つまり前述の地図「八道総図」の于山島がこの竹嶼ではないかと思われますが、その地図において、于山島と鬱陵島の位置が逆になっている点と面積が同様に描かれていることが気になります。

(当時のことなので、地図の正確性が乏しい、となればそれはそれで理解できますが)



結局、Wikipediaの竹島
https://ja.wikipedia.org/wiki/
%E7%AB%B9%E5%B3
%B6_(%E5%B3%B6%E6
%A0%B9%E7%9C%8C)


も目を通すことになりますが、


私が思うに、この鬱陵島を基準にした于山島と竹島の位置関係が不明瞭のまま、また国ごとに名称の混同や錯そうを抱えたまま現在に至ったことが原因ではないか、と個人的に思います。


(実際には、両国間の古文書を読んだり戦後の主張などを解釈しないといけませんので、探求される方はリンク先のWikiを熟考されるなりして下さい)
Googleでの周辺地図 左が鬱陵島

大きな地図で見る

上の地図では右の方にありますが、外務省提供の地図のほうがわかりやすいかもしれません
https://www.mofa.go.jp/mofaj/
area/takeshima/index.html



別記として

長崎県の対馬島内の土地を韓国企業、また北海道の森林を中国企業が買収しているという記事をどこかで見た気がします。


また、韓国の一部の人は「竹島同様、対馬も韓国領だ」と思っているみたいです。

信憑性が不明なのでなんともいえませんが、事実ならば将来、問題になるかもしれません。

”お金による侵略”を認めざるを得ないのか、あるいは「単なる外資の流入」と見るべきなのかという話です



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