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私のルーツ、祖先を探る

2017年2月改訂 2016年10月初版

 岡山生まれの管理人のルーツ、祖先のことを記述したページです。そのため、他人様がご覧になっても何の役にも立たないページです。

 ですが、お伝えしたいことは「もし、ご自分の生まれたルーツつまり、ご先祖様についてご興味があるならば、親御さんや祖父母にあたる方に尋ねてみてはいかがでしょうか?」というご提案だけはさせて頂きます。


 私の両親が「祖先に興味がない」ため話が途切れてしまい、それ以上の調査ができなくなりました。また、私の学生時代に3人、20代で1人つまりすべての祖父母はすでに他界しているため、「学生時代に聞きメモした祖母の話がすべて」となってしまいました。


 ともかく興味のある方は「お早目に」です。


なお、下記の内容は一部を除き「祖父母のうろ覚え」がベースなので「確たる証拠」はありません。あしからずご了承下さい。また、今後、加筆・訂正する可能性があります。


私自身、NHKのファミリーヒストリーに出られる方がうらやましいです。


なお、ここに書いてあることがすべてで、仮に管理人に問い合わせをされることがあっても、下記の内容以上のことはお話できません


2017/2/26
このページをご覧になった筒井様からのご教授により一部の記述を訂正しました。感謝申し上げます。

父方

●祖父
熊本県出身で、曾祖父は酒屋を営んでいたそうです。私の苗字の由来の地です。この家系に化学に興味を持った人がいて、私も大学では同じ化学の道へ。


●祖母
岡山市表町下之町で商売を営む家で生まれましたが、その店は昭和初期に奉公人にゆずったそうです。

また、祖母の祖父にあたる人は今でいう役人の仕事をしていたそうで、私のイメージでは「時代劇ドラマ”必殺”の中村主水が勤める町の奉行所で働く、毎日帳簿を付けたり、そろばんをはじいているような役人」だったのではないかと。

母方

●祖母
香川県三木町で出生。祖母の話では「祖母の父の兄(伯父)は三木町で庄屋(*A)をしていた筒井家。その祖先は今の宮崎県から流れ着いた落ち武者」といった内容でした。


*A 庄屋をしていた、という確証はありません。あくまでも祖母の記憶のみです。


※その他
・最初の筒井家は津柳。祖母の祖先の一族は津柳から田中村田中へ。さらに祖母の両親はその田中から田中村天枝に引っ越し、そこで祖母が生まれた。


・三木町の常満寺は筒井家の永代供養で、その寺の奥さんが筒井日向の守の家来だった。



以上、祖母の話を裏付けるためにネットで調べた結果、「あくまでも関連していると思われる事柄」と判断できたのが下記です。ただし「確実な証拠」ではありません。


その1
「讃岐に残る平家落人伝説」
http://dekiya.blog57.fc2.com/
blog-entry-191.html

*リンク先は個人の方のサイトです。
*関連個所を抜粋させて頂きました。謝辞です。

・三木町西鹿庭の竹尾にも平家の落人が隠れ住んだという伝承があります。

・屋島合戦のとき、筒井日向守孫兵衛という武将が、平 宗盛の命を受けて、源 義経の軍の進撃に備えていました・・・逃げ遅れた日向守は家来を連れて竹尾の山里に逃れたということです。

*日向国(ひゅうがのくに、今の宮崎県、wikipedia)
*ただし、日向守孫兵衛と祖母の筒井家とをつなぐ情報(根拠)はありません。


その2
熊野神社の二本杉
三木町
http://www.town.miki.lg.jp/life/
dtl.php?hdnKey=1152


個人様
http://www.hitozato-kyoboku.com/
miki-kumano-nihonsugi.htm




●祖父
香川県高松市にある田村神社(wikipedia)にゆかりがあるそうなのですが、その”ゆかり”が田村神社なのか近隣の一宮寺か成合神社なのかは不明です。


一宮寺 wikipedia

成合神社 wikipediaなし・個人様によれば、田村神社の別宮(本社に付属する神社)とのこと。

地図:(C)google


●祖母から聞いた話
・祖父は10代後半まで、祖父の叔父さんのいる田村神社に奉公していた


・「祖父の祖先が守っていた神社(または、お寺)は、政府が直接の運営を行うという方針により、国直属の人が神社(お寺)を引き継がれた」そうです。


[余談]
* 田村神社を管理するためのお寺として一宮寺が設置され、その状態が「神社」と「寺」が一緒に配置される神仏習合(wikipdia)となっていたが、1679年に松平頼常氏の神仏分離によって分離されたそうです。

* 松岡 調(まつおか みつぎ、wikipedia)という神官が1904年に田村神社の宮司に任命されています。

●さらに詳細不明。祖母の話の原文まま

・神仏合祀(シンブツゴウシ)により、1つの地域に神社と寺を1組で設置することになり、成合村に「田村神社」と「神光山大蔵院(シンコウザンダイゾウイン)」ができた。大蔵院は、田村神社の弟が任された。また地元では「田村神社」を"南"田村、「大蔵院」を"北"田村と呼んでいた。

後に、北田村の後継ぎだった人(祖父のいとこ)は、「美雲院(ビウンイン *)」という大きい寺を任されたので大蔵院は廃れた。

*現在の同名の院と同じと仮定すると、田村神社から東へ1.1kmにある寺。



・高松市一宮の「田村神社」
参勤交代と廃藩置県により「松平の殿様」と成合から高松市一宮に移った「田村神社」の神主は東京へ呼ばれたので、今の田村神社を継いでいるのは「東京の人」である。また、神仏合祀により田村神社のそばにも「札所」が今でもある。成合の「田村神社」は、本家が高松市へ移ったので分家となっていたが今はだれも継いでいない。



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