長い睫毛を伏せ微かに陰りを見せる少年の横顔を見るたびに、華佗は複雑な気持ちになった。
透けるような白い肌に、細く整った眉。大きな瞳は目尻が滲むようで、すんなりと隆起した鼻の先はつんと尖り、唇はあくまでも紅い。まるで少女のような顔立ち。それもとびきり美少女の。
「曹沖さまはお父上に少しも似てらっしゃらない。あの険しい方とは正反対の、おやさしい面立ちをしておられる」
曹沖の側に仕えるものは口をそろえて言う。しかし華佗は知っていた。曹沖は、少年時代の曹操に似ている。

なるほど曹沖の眉も目も唇も、顔の部品のひとつひとつをとって見れば、確かにそれは母親の環夫人のものだ。しかしそれらが合わさって醸し出すもの、全体的な雰囲気といったものが、少年期の曹操に非常によく似ていた。


華佗が曹操少年に初めて出会ったのは曹操が十四歳の時のことだ。
曹操とは同郷の出身である華佗は、曹家の不良息子のことはよく噂に聞いていた。花嫁泥棒の常習者であるだとか、邑のやくざと交わり賭事に興じているだとか、酒屋を飲み潰して歩いているだとか、とにかくあまりかんばしい噂はない。「あれは将来ロクなものにはならない。今のうちに後宮にでもやってしまった方がよいのではないか」それが当時の世間の一般的な曹操への評価である。宦官の跡取り息子である曹操も当然宦官になるものと思い込んでいる邑人は少なくなかった。無論、そんなことはない。祖父の築いた財産を子々孫々に受け継いでゆくという使命のために生れた曹操が宦官になることなど、あるはずがない。しかし宦官というだけで顔をしかめる邑人にはそこまで考えが及ばないのだ。

「曹操と名乗る少年が訪ねて来ております。何やら幼い子供を連れているようですが・・・。華佗先生に取り次いでほしいそうです」
弟子に知らされて華佗が軒先に出てみると、そこに二人連れの子供が立っていた。年長の方は見たところ十二・三歳で、無造作にまとめた髪にかんざしを挿し、簡素だが仕立ての良い服を着ている。これが曹操・・・? 年少の方は八歳くらい。曹操にぴたりと寄り添い、目にいっぱい涙を溜めて口を真一文字に結んでいる。弟だろうか。腕には大きな鳥を一羽かかえている。鷹だ。鷹はぐったりと抱かれるに任せ、よく見ると片羽の付け根が傷つき、血にまみれている。一目で矢傷とわかった。

「わたしは曹家の嫡男で曹操と申します。華佗先生は養生の術(医術)に長けていると伺いましたが、真ですか」
声変わり前の澄んだ声音で曹操少年は言った。
「いかにも」
華佗が応えると、曹操は明るい顔になり横の子供に向かって
「よかったな、惇。これで雷鳳は助かるぞ」と言った。そしてすぐに華佗の方に向き直り、
「実は先生にこの雷鳳(らいほう)を治療していただきたいのです」とハキハキとした口調で言った。雷鳳、鷹の名前だ。

雷鳳をあずけてからというもの、曹操はちょくちょく華佗の家にやって来るようになった。時には一人で、時には弟妹や友人を伴って。そしてしばらく雷鳳の様子を見てから、診療室に顔を覗かせ、華佗の仕事ぶりや病人・怪我人を興味深そうに見て回った。彼はつくづく感心した様子で、「養生の術とはたいしたものだなあ。まじないの類とは似て非なるものだ。ひとつひとつにきちんとした理由がある。専門の学校をつくって世の中に広めたら、さぞ人々は助かることだろうに」などと大人びた口調で言う。
(どうやらこの子は噂とは正反対の才児らしい)
噂とはあてにならないものだと華佗は思った。(花嫁泥棒・・・?酒屋を飲み潰して歩いた・・・?この声変わりも済まさぬ華奢な少年が?まゆつばだろう) 実際は、すべて事実であった。

曹操は診療所が気に入ったらしく、たびたび訪れては半日入り浸った。そして治療の手順や理由などを尋ねたり、病人と世間話をしたり、書斎で見つけた書物に読み耽ったりして時を過ごした。手伝おうという気は更々ないらしく包帯を巻くのすらじっと見ているだけだったが、決して華佗の治療の邪魔はしなかった。その辺りは非常にタイミングを心得ていて、感心するほどだ。そうして華佗はいつしかこの世評の悪い小柄な少年に好意を抱いている自分に気が付いた。ほのかな親心すら芽生え始めていた。

一度だけ、曹操がひどく酔っ払った状態で華佗の前に現れたことがある。
「どうしたんだね阿瞞(あまん 曹操の幼名)、一人で来たのかい」
曹操は華佗の問い掛けには応じず、振らつきながら、しかし一直線に見定めて雷鳳の籠の側まで行くと、かんざしを抜いて勢いよく髪の毛をさばき、壁にもたれかかるようにして部屋の隅に座り込んでしまった。膝を抱え込みその中に顔を埋める。泣いているのだろうか。
(弱ったな)と華佗は思った。華佗は思春期の少年の不安定な精神について人よりは理解があるつもりだ。しかしこの複雑な家庭事情を持つ利発な少年をうまくなだめる自信はなかった。下手な慰めは余計に彼を傷つけることになる。華佗はしばらく何もせず、黙って少年を見守った。

膝を抱きうずくまる曹操の姿は、ほんとうに小さく、小さく見えた。最初彼を見たとき華佗は十二・三歳だろうと思った。実際は十四歳だった。肩幅は狭く、身体付きもまだ中性的で幼い。食うに困っているはずもないのに、ひどく痩せている。体質なのだろう。華佗は思わずその薄い肩を抱きしめてやりたくなった。しかしこのての少年が内に秘めている鋭利な刃物のことを知っているので、うかつには手を出せない。

「わざとやったんだ」
膝に顔を埋めたまま震える声で曹操は呟いた。
「あいつらわざと雷鳳を・・・。そうさわかってたさ。雷鳳の脚には一目でわかる印を付けていた。あいつら、競って射掛けやがった」
「・・・・・・」
「フ・・・フフ・・・でもまあいい・・・。あいつらにはそれ相応の償いをしてもらったからな・・・」
華佗は曹操の前に身をかがめ、そっと彼の髪に手を触れた。ふいに曹操が顔を上げる。両目は真っ赤に充血し、涙で濡れた頬に髪の毛が幾筋も貼り付いている。華佗はその髪を丁寧に掻き分けながら、彼の目をじっと見詰めて、そして言った。
「わかった。曹操、きみは正しい」
曹操は華佗に抱きついた。華佗はしっかりと彼を受け止めた。せきを切ったように声を張り上げて、曹操は華佗の胸のなかで泣きじゃくった。この子は今までにこういうふうに泣いたことがあるのだろうか、とふと華佗は思った。差別されているのだ。しかも家を背負う嫡男として誰に甘えることもできず、いつもせいいっぱい張り詰めて生きている。彼は擦れてはいない。まだ十四歳の少年ではないか・・・。
曹操の首筋からは酒と土と汗と、それからほのかな子供特有の匂いが香った。雷鳳は籠の中から心配げに若い主人を見詰めていた。

ことごとく瞼を切り取られた男どもが華佗の診療所にぞくぞくと転がり込んできたのは、その翌朝のことである。





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