郭奉孝が逝ったのは凍て付く冬。北方遠征の途中のことであった。まだ三十八歳だった。
辛い遠征だった。官渡の戦で敗走した宿敵・袁紹(えんしょう)の息子が北方異民族と結託し、反乱を起こそうとしたのを制圧するための戦いだった。太行山を越えなければならないという地理的な厳しさもあり、諸侯も曹操自身もこの遠征には大きな迷いを持っていた。それを曹操に進言して決断に踏み切らせたのは、他ならぬ郭奉孝だった。
郭奉孝は遠征を勝利へと導き、そして病に倒れた。
都への長い道のりのなかで少しずつ衰弱していき、あと少しで還りつくというところで、曹操に看取られ静かに息を引き取った。
幼い頃から身体の弱かった郭奉孝は、自分が長生きできないことくらいは知っていた。彼は一種醒めた目で世の中を見ていたし、生への執着からも飄々として自由でありたいと思っていた。主・曹操が天下を平定するのを見届けることができない、ということにしても、まあ仕方がない。自分がいなくても世界は営まれていくのだ。
しかし曹操と親密になるにつけ、彼にひとつの気がかりが生れた。
曹操という人物のことである。
曹操の瞳に宿る醒めた孤独。おおらかさと意外におどけた雰囲気の向こうに隠された、どうしようもなく暗い影を郭奉孝は見て取った。郭奉孝も含めて誰とも相容れない、誰をも信じない、絶望的な孤独の影を・・・。
特殊能力。郭奉孝のその力は、予知ではない。実は直感ですらない。それは人間の心理のパターンを洞察する能力だった。今でいうプロファイリングにも似ているだろう。敵の行動や人間性、周辺事情などの情報を集め、あるパターンを見出し次の行動を予測する。そうやって彼は次々と勲功を挙げてきたのだ。
そして彼が最も身近にいて見つめ続けていたのは、主であり友人でもあった曹孟徳―曹操なのである。
実は郭奉孝は密かに曹操の生い立ちなどに関する資料を集め、研究していた。最初はちょっとした趣味的な興味で、仕官してからは自分のために。自分の仕える主のことをよく知っておかなければ、時として自分が痛い目にあうことを彼は知っていた。
宦官の家の子として生れ、潔癖なまでの公正さを貫き、時として不安定に揺らぐ少々極端なところのある人物。
家族を皆殺しにされた経験を持つ男。
知り合いがみんな死んで誰もいなくなった故郷に、一人呆然と佇む主の姿を郭奉孝は見ていた。
曹孟徳と付き合うとき、郭奉孝の特殊能力は彼の胸の内でずっと警鐘を鳴らし続けていた。将来この人物が必ずしも幸福にはならないこと。そして立場上彼の不幸は彼だけの不幸にとどまらないことを。
死にたくない、と郭奉孝は思った。今自分が死んだら、この人物を見守るものがなくなってしまう・・・。