同窓会


 アパートの郵便受けに僕宛ての封書が届いたのは九月も半ばのことだった。このご時世に郵便物だけはきっちり届くことに感心しつつ、僕はその封書を手に取った。差出人は藤井瞳とある。覚えのない名前だ。封筒ごと手袋のはまった手をコートのポケットにぐいとつっこんで階段をのぼった。肘に下げたコンビニ袋が太腿にゴンゴン当たる。エレベーターは一ヶ月前から止まっていた。
 部屋に帰りコートを脱ぐと雪の結晶がパラパラ落ちた。窓の外は無彩色の景色だ。子供のころは、九月に雪が降るなんてことはなかった。いつからだったろう、急激な寒冷化から氷河期問題が毎日のように報道され、当たり前のこととして人々の間に広まっていったのは。
 それは同窓会の案内だった。
『清水ヶ丘中学校十二期生の皆様へ。あたたかな料理をかこんで昔の仲間と思い出を語らいませんか。〈日時〉九月二十三日(祝日)十七時三十分〜 〈場所〉居酒屋あかりとり』
 丁寧な手書きの文字で書かれ、便箋の下半分には簡単な地図がついていた。
 奇妙な感じがした。今頃同窓会に参加する人間なんているのだろうか。街の人の大半は地下の冬眠室に行ってしまった。毎月来る市役所からの催促の葉書を無視してその日暮らしを続けている僕のような人間でなければ、とうに眠りについているはずだ。本格的な氷河期に突入する前にすべての国民を冷凍保存し、社会機能を凍結、きたる氷河期明けに目覚めるべく文明を温存させる。国がそう決めたのだ。第一、その居酒屋はまだ営業しているのだろうか。最後まで残る人のためのロボットコンビニ以外は、どの店もシャッターを下ろしているというのに。

 『居酒屋あかりとり』は営業していた。国道から山道にすこし入った斜面に木造の三角屋根と看板が見えた。空はまだ明るいが、門灯をぽつんとともしている。僕は車を止め、店に入った。
 吸い込まれる風に背中を押されあわててドアを閉める。暖かい空気に包み込まれるとともに、カウンター席の女がこちらを振り返るのが目に入った。「いらっしゃい」マスターらしい初老の男がその向こうから笑いかける。
「ケンちゃん……」
 女が立ち上がった。きれいな人だ。
「山岸健斗さんですね」
「はい。あなたは」
 キャア、とかん高い声をあげて女は僕に駆け寄った。
「手紙みてくれたのね。うれしい。僕だよ僕、耕太郎」
「え、ええー、コウちゃん……なの? 本当に? うわあ、どうして」
 藤井耕太郎という同級生はいた。中一のとき机がとなりどうしで、よくゲームの絵を交換しあった。でも彼は確かに男の子だったのだ。僕はコートを壁のハンガーにかけ、カウンター席に座った。熱燗を頼む。突出しが用意されていた。レンコンとコンニャクの煮付けだ。
「性転換したの。名前も変えたし、わからなかったでしょ。今は藤井瞳っていうのよ」
「ふうん。そうだったんだ。……けっこうかかるんだろ。あれ、保険もきかないっていうし」
「そうね。でも、安いものよ。ちゃんとしたところのだし」
「なんかへんな感じ……」
「すぐ慣れるわよ」
 僕はレンコンを口に入れた。歯ざわりが心地いい。
「熱燗お待たせしました。お客さん、よかったですね。彼、同窓生でしょう」
 マスターが白い湯気越しに言った。
「だれも来なかったらどうしようって話してたのよね」
「コウちゃん、えと、藤井さんは」
「コウちゃんって呼んでいいよ」
「ごめん。その……、どうして性転換したの。訊いていいかな」
「本来の自分だから」
 コウちゃんはサラッと言って僕を見ると、目を見張ったままプッと吹き出した。なにが可笑しいのやら。目もとと笑い方に昔の面影がある。僕はおちょこに口をつけてちびちびと舐めた。
 料理は進み、カウンターがにぎやかになった。合成のコンビニ食が続いていた僕には涙が出そうなご馳走が、次から次へと出てくる。やっぱり、素材のわかる食事はいい。
「美味しいよ。マスター、本当に美味しい。こんな店がまだ開いているなんて思わなかった」
 今度は冷酒をクイクイやりながら僕は話しかけた。すっかり体があたたまって、熱いくらいだ。
「ご安心を。うちはずっとやってますよ。店は閉めません。あたしは冬眠しませんから」
 決然とマスターは言った。となりでコウちゃんがえっと驚いている。
「でも、電気が止まるし、流通も来月末には完全にストップするっていうし、あっと、その……」
 失礼なことを口走りそうな予感がして、僕は途中で口を閉ざした。
「あたしは独りモンでもうこのトシだし、冬眠してまで冬を越そうとは思いませんや。それよりも、冬を満喫して生きれるだけ生きてやろうと思いましてね。もう役所にも届けは出してます」
「でも、食料は」
「たっぷり三ヶ月分、ぜんぶ冷凍してありますよ。灯油も煉炭も。あたしはちょっとした財産持ちでしてね」
「へえ……」
 僕の目には突然マスターの姿が光り輝いて見えだした。
「それもいいな。マスターみたいな生き方さ。終らない冬に閉じ込められて、冬とともに生きる……か。それでさ、だれもいないクリスマスにとっておきの一本をあけて祝うんだ。それもいいな」
 マスターは大口を開けてガハハッと笑った。
「そうかい、そうかい。若者、一緒に残ってくれるかい。あたしも話し相手ができたらうれしいですがね」
「……なぜ」
 ドキンとした。コウちゃんが強い瞳で僕を睨んでいたからだ。
「マスターのはわかるよ。でも、なぜケンちゃんまでそんなこと言いだすの」
 思い出した。コウちゃんは昔から、こういう強い瞳をすることがあった。運動が苦手で絵ばかり描いてる線の細いやつだったくせに、この眼差しに勝てる者はなかったんだ。たまらず僕は白状してしまう。
「怖いから」
「怖い?」
「そうさ。怖いんだ。いくら宇宙航行分野で確立された技術とはいっても、何十万年も眠るのは怖いよ。再び目覚める保障なんてどこにもないし、目覚めたところでどんな世界が待っているかわかりゃしない。僕は予防注射の列から逃げだしたい子供なんだ」
「ここに残ったら死ぬしかないのよ」
 凛とした顔つきでコウちゃんは言った。僕は言葉を返せない。マスターは笑ってデザートのバニラアイスとエスプレッソを出してくれた。
 もうすぐなんの価値もなくなるクレジットでの支払いに後ろめたさを感じつつ、僕たち二人は店を出た。辺りはすっかり夜になっていた。真っ黒い闇に積雪がほの青く浮かびあがり、細かい雪が降っている。駐車場に向かい歩きかけて、僕は店を振り返った。窓から漏れたあかりに照らされて、降る雪が光っている。ぽそぽそぽそぽそ光っている。
「雪ってきれいだったんだ」
 僕はつぶやいた。
「けっきょく、来たのは僕らだけだったね」
「そうね」
「みんな眠ったのかな」
「たぶん」
「送るよ」
 コウちゃんは首を横に振った。
「車だとちょっと難しい場所なの。歩いたほうがはやいから」
「歩いて送るよ」
 コウちゃんの家まで、僕たちは肩を並べて歩いた。道は細く、雪のほかは夜の気配さえ死んでいる。お互いにギュッと腕を組んだ。
「明日眠るの」
 コウちゃんが言った。
「うん。どこ」
「清水ヶ丘Aの4区よ」
「そう」
「ケンちゃん」
 強い瞳。
「ケンちゃんがどちらを選ぼうが、わたしにはなにも言えない。でも、わたしはきっと春は来るって信じているし、そのときケンちゃんに傍にいてほしい。新しい世界でまたあなたにあいたい」
 コウちゃんは立ち止まり、じっと僕を見詰めた。そして腕を伸ばし、道の先を指差した。
「わたしの家はあそこ。今日あえてうれしかった」
 じゃあね、と言いかけて唇をふさがれた。やわらかくて冷たいコウちゃんの唇。スッと離れて振り返らずに駆けていった。その後姿は僕の目の奥にいつまでも残った。
 それから僕は引き返した。店までは一本道だ。歩きながら考えた。地球の生物は全球凍結の後に大きく進化したという。氷河期の果て、春は新しい世界だ。僕たちは本当に目覚めることができるのかもしれない。長い冬の先に世界を見ることができるのかもしれない。例えそのとき人の姿をとっていなかったとしても。
 暗い道の向こうに、マスターのいる店のあかりが見えてきた。





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