家族会議
<はじめに>
□「家族会議」は親教育の最終目標
家族会議はアメリカの親教育では最終目標です。家族の会議ができる状態にまで、とにかく親子関係を持っていきたいと願っていますが、そう簡単にできることではない。アメリカでも、家族がひとつのテーブルについて話し合いができるようになるまでに、半年とか1年とかの時間がかかるそうです。日本人は、会議や民主主義への信頼度がうんと低いので、実際に家族会議の開催まで持っていける家族の数はきわめて少ないです。
アドラーが言い続けたことは、大人と子どもは対等だということ。大人が上で子どもが下という考え方は間違っている。大人が子どもを守るとか助けるという考え方は差別しそうで間違っているということ。
子どもは大人に従うべきだとか、大人が決定して子どもが実行するというのも間違っていて、差別思想です。大人は家事に責任を持って働いて、子どもは遊んでいればいいというのも間違い。これも差別思想です。
家事というものは、男も女も大人も子どもも全員が分担して協力してやるものです。しかも、そのために強権を発動して命令してはいけない。とにかく指示したり命令したりするのをやめること。
一方で、言わないのに気持ちをわかってあげるのもやめます。はっきり全部言葉に出しましょう。しかも、命令語でない言葉に。
話し合う形で動けるようになろうというのが、当面の大きな目標になります。
□口で言うのは簡単
これは口で言うのは簡単ですが、実際やってみるとすぐイライラするんです。「パセージ」を受けて、実際にやってみるとだんだん心配になる人がいます。「もっとちゃんと言ったほうがいいのでは?」「こんなんではムチャクチャになるんでは?」「甘いんでは?」「過保護では?」「放任では?」と、いっぱい心配になるんです。それで何割かの人は、自分の考えとアドラー心理学を適当にミックスします。それはしないほうがいい。苺ジャムとぬか味噌をミックスしたようになって、どうしようもなくなります。どっちかにするほうがいいです。
それでもアドラー心理学だけでやろうとする人が、7,8割はいます。そういう人たちは、長い時間はかかるけど家族会議に近づいていけます。ミックスした人は永久にわけのわからない世界をさまようでしょう。
「先生が言うのはわかるけどそれは理屈で理想でしょ。現実はそうはいかない。競争社会だし、子どもはやっぱりいい学校へやらないといけないし、躾けないといけない」と言うから、「わかりました。それであなたアドラーをやって、子どもと冷静に話ができるようになりましたか?」と聞くと、「うちの子は思春期だから動揺しているから冷静に話なんかできません」と言う。違う!動揺しているのは親であって子どもではない。思春期になると、子どもが親の言うことを聞かなくなるので親が動揺します。それで言うことを聞かせるために強圧的手段を使う。で、子どもが反抗する。子どもの反抗が先か、親の強圧が先か?もちろん強圧が先です。
なぜそんなに強圧的かというと、子どもを信頼していないからです。
<キーワード1:「信頼するということ」>
キーワード1は「信頼する」ということです。子どもだけでなく配偶者も信頼します。親がいれば親も信頼します。信頼して任せます。あるいは信頼して相手の意見を最後まで聞いてみます。相手の意見を正しいかもしれないと思ってみる。それは逆に、私の意見は間違っているかもしれないと思ってみることです。
□人の話を聞かない人
人の話を聞かない人が世の中にいます。その人たちの特徴は、自分は正しいと思っていることです。講座などで「自分のことを好きになるように」教えられると、誤解して「私は正しい」と思う人がいるんです。「私は反省しなくていいんだ」と思う。違う。
自分は間違ったり失敗したりすることがあるが、それを責めることはないという意味です。ドライカースは、「不完全でいる勇気を持とう」と言いました。「私は完全な人間ではない。永久に完全になれない。だから私の意見は絶えず間違っている可能性がある」と思うことで、これが、自分を好きになるということです。
世間では自己受容とか、I'm OKとか言います。それも結構ですが、私は正しいんだ、私のことを反省しなくていいんだ、とにかく自分の主張をすればいいんだと、短絡的に考えると、人の意見が聞けないでしょう。
□自分の意見を引っ込める勇気
会議ができるためには、折れ合って、自分の意見を引っ込める勇気を持たないといけないです。日本人はこれが嫌いね。政治家はやりなれていて、雲の上でやっているでしょう。いろんな人が意見を次々出しては次々引っ込める。すると国民は怒る。「いったいどうなんだ。昨日はああ言ったのに今日は違う。変だ」と。変じゃない。そうしないといつまでたっても折り合わないから。
民主主義の根幹は、自分の意見を変える勇気を持つことです。相手と話し合いをした結果、相手の意見が建設的なら自分の意見を引っ込めることです。
人を信頼するというのは、ただ相手に任せるのではないし、全部自分がやるというのでもない。どっちも間違っているかもしれない。私が不完全であるように相手も不完全だから、話し合う中で、いっぺん冷静に考えてみることです。
□大急ぎで決めないといけないか?
大急ぎで決めなければいけないことは滅多にないです。何が何でも今日決めなければならないことはあんまりない。
子どもがテレビを3時間も見ている。もう少し減らしたい。これ、今日決めなきゃいけないか。1週間、ひと月長引いてはいけないか?そんなことはない。ところが、会議を始めて2、3こと話したら、はじめの話題はふっ飛んで、どっちが勝ちか負けか、どっちが正しいか間違っているかがルールになります。
勝ち負けを争っている間は会議ができません。正しいとか間違っているとかいう発想から決着をつけようとしていると話ができません。
アドラーは、「正邪善悪の発想が人間の権力闘争の一番大きな道具で、これから抜けないと話し合いができない」と言いました。
じゃあ何が目安か?正しいとか間違いとかでなく、建設的か破壊的かが目安になります。テレビを2時間見ても3時間見ても建設的でも破壊的でもない。それで家庭が崩壊することはない。どっちに決まってもいい。ということは今日決まらなくていい。
今日決まらなくていいとわかれば、冷静になれるでしょう。これは正邪善悪の闘いではない。3時間は邪で1時間は善か?勝ち負けじゃない。親が勝っても何も起こらない。そうわかると話し合いができます。
□信頼のほんとの意味
「お互いに信頼関係を持とうと、。言葉で言うのは簡単です。昔、校長先生が朝礼でありがたいお言葉をくださったけど、今は何も覚えていません。「人を信頼しなさい」ときっと言ったでしょう。本にも書いてあるでしょうが、信頼って何のことかちゃんと考えてみた人は少ないです。
自分の子どもや家族を信頼するというのは、私は間違っているかもしれないと思うこと、私は自分の意見を引っ込めようと考えること、正邪善悪で決着をつけるのはやめようとすること、勝とうとするのをやめること、相手の意見をとにかく聞こうとすること、何が何でも今日大急ぎで決めようとしないことです。
「スマイル~パセージ」の卒業生も万単位になってきましたが、子どもとの話し合いをすんなり実行できる人は数が少なくて、ですから家族会議できる人も少ないそうです。
<家族会議のやり方>
□召集をかける
「家族会議」は、何となく集まって話をすることではありません。きちんと召集して、きちんと議会をやることです。週1回とか2週間に1回とか。
できたら事前に紙を貼るといい。「土曜日午後7時から30分間、家族会議をします」。
召集をかけるのは誰でもいいですが、定期的なのは親がかけて、臨時のは誰でもいいことにしておくと便利です。
□時間は長くて1時間
長時間の会議は禁止。子どもが小学校出るまでは30分、中学生になれば1時間程度と、短くすぐ終わるようにしてあります。1時間以上話し合うと喧嘩をしますし、長時間の会議は非建設的ですから。
□メンバー
できたら全員参加が望ましいです。アドラー心理学に反対している人、家族会議に反対の人がいる可能性があります。「夫が不熱心」だと妻は言う。「あんたはそれほど熱心か?」。妻が本当に熱心なら、夫も熱心かそうでなくても邪魔はされない。邪魔されるのは権力闘争していて、夫を尊敬信頼していないからです。
ほんとにきちんとやっていれば、強硬な反対派はいなくなるはずです。子どもとの関係が良くなっていくのは目に見えます。子どもたちも社会的に自立した暮らし方をして、みんなこれでいいんだと納得する。納得しない人がいるのは、その人のやり方がおかしいんです。強硬な反対派がいる間は家族会議はできません。アドラー心理学を学んでいる人のやり方がまだおかしいんです。
消極的な反対派がいるのなら実施できます。原則は全員参加で、参加しない権利も認める。
当日は、参加する人は全員参加で、参加しない人は委任状を出します。「参加しないけれど会議の決定には従います」と。
□会議に専念する
家族会議の最中に他のことをしない。ご飯食べながらとか、テレビ見ながらは駄目。会議だけします。何かのついでにやることではない。
□議長は持ち回り
議長は回り持ちがいい。発言できないから。小学生から発言権と投票権ができます。小学生以下は参加・発言はオッケーですが、投票権はないほうがいい。そのほうが早く小学校へ行きたがっていいでしょう。
議長は5年生くらいか中学生からやる。書記も決めます。ないとあとでもめるから。記録のないものは認めない。記録だけが証拠です。記憶と違っても記録が正しい。
□ここまで漕ぎ着けるか
家族会議を開いてみて、子どもが出ればかなり上等です。親が家族会議を始めると全員外出するのは、親は強圧的に結論を押しつけるに決まっているとみんな思っているから。自分の結論を絶対譲らなくて人の言うことを聞かないと、民主的な話し合いができるわけがない。「親の陰謀だ」と思われている間はメンバーが来ないから、家族会議は成立しません。
召集してみてみんな来たら一応60点合格で、続けば大したものです。親の独裁体制が崩れて、親の権力追求の道具から解放されました。幼稚園児なら来るけど、中学生が来たら大したものです。
□次の会に来ないのは
次の回に来ないのは勇気くじきが多いからです。日本人が会議が嫌いなのは、勇気くじきがうまいからです。そして、「問題点は何か」から始めるから。「うちの家の困ったことは何か?」。これではすでに勇気くじきです。不適切な事態に注目していますから。毎回不適切な事態に注目したらどうなるか……?
片づけができていない。「じゃあこうしよう」。できるようになった。今度は、洗濯物が積んである。これもできた。次は食事の後片づけをみんなで分担。庭の掃除が…。だんだん、仕事が増える。
できて当たり前。できないものはこれもあれも…。こんな会議に誰も出たくない。問題点を列挙、解決する発想をやると、イヤな仕事が増えるだけです。
<家族会議のテーマ>
□初期のテーマ
・さしあたって勇気づけ合う
さしあたって勇気づけ合うために会議をします。どんな進歩があったか、どんな努力をしたか、どんな貢献があったかを言ってもらう。家族会議だけでなく、学校のホームルームもそうするとうまくいくでしょう。
自分の宣伝でもいい。誰かが自分にしてくれたことでもいい。「こんないいことがあった」と。30分の会議なら、10分くらいみんながお互いどんなに努力しているかを言ってもらう。
子どもが、「今週は一生懸命勉強しました」と言うと、へそ曲がりな親は「あれで一生懸命?」と言う。これは勇気くじきです。言わなくてもそう感じたら、自分がいかに勇気くじきのうまい親かわかってほしいです。
・問題解決はもっとあとに
片づけとか勉強とか夜早く寝るとかは避けます。問題解決は第3段階になってからです。
第1段階は勇気づけ合う楽しい時間を持てること。一種のリクレーション、遊び、レジャーの場になること。30分終わったあと勇気づけられて気持ちいいと思われるものになればいい。
「他の人にしてもらったいいことを言ってください」「お兄ちゃんが宿題手伝ってくれた。ありがとうございました」。お兄ちゃんは感動して、「また会議やろう」となる。
コミュニケーション再建の最初は遊び。一緒に快適な時間を過ごせるようになること。遊び。これができないと次の仕事ができない。
これだけでも1、2か月過ごすかもしれない。他に何も決まらないけど、家族全体には非常に建設的な出来事。家の中は相変わらず散らかっていて、チャンネル争いはしている。お父さんはごろ寝でビールを飲んでいる。それでも、家族会議をやったおかげで、勇気くじきが減って、お互い認め合って暮らしているなら大きなプラスです。部屋が片づいているより、チャンネル争いがなくなるよりもっと大きなプラスです。
□第2段階はコミュニケーションを良くすること
・情報伝達を良くする。
家族会議が楽しいワークとして定着したら第2段階に入る。それはコミュニケーションの改善です。
家族は、意外なほど秘密主義で、自分の考え、知っていることをちゃんと家族に伝えていない。「親戚に法事があるよ」「えー、聞いてない」。伝わっていない。情報伝達はめちゃめちゃ大事です。
トフラーの『第三の波』というのがあります。
第一段階は農業社会で、土地、武力・権力が人間の宝でした。
第二段階は工業社会。土地を持っていてもしょうがない。お金・資金、学歴が問題になりました。
第三段階は情報社会。お金も問題じゃない。情報が問題です。情報があればお金も集まる。今、社会のパワーは情報です。
ところが、家族はいまだに農業社会と工業社会で、「ここは俺の家だ」と頑張っている古典的お父さんがいる。あるいは、「お金がすべて。学歴がすべて。頑張りましょう」の教育ママがいる。第一段階と第二段階の2種類しかない。情報共有型の家庭はまだない。アドラー心理学が提唱するのは情報共有型社会です。
「今度の連休をどう過ごそうか?」と会議で決めたい。そこで「こうしますよ、いいですね」と結論を出したら、情報共有にならない。考えるプロセスを共有したい。「どうしよう?どうしよう?」と相談します。考えるプロセスを共有してはじめて情報を共有しています。
だいたいは親が決めて子どもに教えていますが、そうじゃない。結論を出すやり方を教えたいんです。結果としての情報ではなく、材料から結論を出していくやり方、プロセス。「あんなふうに考えるんだ」とわかってほしい。
となると、親が「まともに考える人」でないといけなくて、ふだんから材料を集めて論理的に考える練習をしておかないと、子どもと良い情報共有ができません。
情報共有は夫婦間、親子間であまりやってこなかったです。いつも結論をボンと出して、「認めるの認めないの?」でした。だから時間がかかります。半年とか。
・自分の考えを冷静に言葉で言う
自分の考えを相手によくわかるように冷静に言葉で言う。くどくど言わないで簡潔に必要なことを言う。相手の意見も聞く。
そうすると、家の掃除がどうのテレビがどうだとか言う時間がなくなります。情報共有しているだけで、半年くたいたつ。でも半年したら家族が勇気づけ合っていて、同じ情報を持って、一緒に解決しようという姿勢ができてきています。そのへんからやっと問題の解決を話し合えるんです。
<結局何をしようとしているか?>
□協力関係
「私が一番賢いわけではない」と認めて、「私も間違うことがある」と認めて、正邪善悪で考えないで、人の意見を最後まで聞いてみる価値があると思う。それをもとに協力関係を作っていきます。
「協力」という言葉は空文化しています。「協力は大事だ」と言いながら非協力的なことをしているから。
英語はco-operation。これは死んでいない。「co」は「一緒に」、「operation」は「作戦を立てる」「実行する」。これがもとの意味です。
□アドラー心理学が言う協力
アドラー進学の「協力」は、一緒に考えて、一緒に話し合って、一緒に働くことです。
男の子が3人いる家庭(一番上が小2)の例です。地獄ですね。お片づけが問題になりました。お母さんは片づけさせたい。「片づけてもらえませんか?」とお願い口調で言っても効き目がない。全員集めて言い聞かせました。「自分で出したものは自分で片づけましょうね」。でも片づかない。どうしたらいいか?
それは協力ということを知らないからです。協力とは一緒に働くことです。ということは、まずお母さんが動かないといけない。「あんた方が出したんだから、あんた方が片づける」だったら、母親自身が非協力的態度です。お母さんがまず片づけるんだと思ってほしい。「自分の出したものだけ片づける」のでは協力してなくて、エゴイズムです。自分の出したものだけ片づけたのでは、世の中どんどんゴミが溜まります。マンションの郵便受けの前がいつも汚れているでしょう。「誰が出したものでも片づけようね」と教えるべきで、協力は親にも適用されます。みんなが一緒に片づけるのが一番いい。小2を筆頭に男の子3人の家庭が1日中きれいだったら、その子たちは病気で寝ているんです。
で、「いつきれいだったらいいか」を考えてもらいました。「夕食前と寝る前がきれいだったらいい。それなら他は辛抱する」と言う。そのときまではお母さんは気がつかなかった。「1日中きれい」というのは不可能な目標です。子どもたちは別にきれいでいたいと思ってない。これでは協力体制を作れない。「いつ」を決めれば子どもも納得します。「夕食はきれいな所で食べたいから、夕食前だけ片づけようよ」と持ち出します。「寝る前は…」と、欲張ると失敗します。
□協力体制は面白いもの
これで協力かというとまだ駄目です。協力というのは面白いものでないといけない。「協力して良かったね」と思えるのでないといけない。「協力してよっ!」と言うと勇気くじきです。
片づけだったら「お片づけ」の歌を歌うといい。保育所・幼稚園ではしています。賢い。日本の教育は幼稚園・保育所が一番しっかりしていて、だんだん堕落して大学が最悪です。お片づけが楽しい出来事であるようにセッティングしないと協力できないです。
子どもと相談しましょう。「お片づけって、つまんないね。どうしたら楽しい?」「お歌をうたう?」音楽をかける?」。そしてまずお母さんが楽しそうに片づける。
「一緒に働く」「一緒に考える」の「一緒に」て何なのか相談してみる。試行錯誤していく。こうして時間をかけてだんだんと協力的な家庭ができていきます。
<議決について>
□民主主義
挙手して採決するのは例外です。日本人は民主主義を多数決だと思う悪いクセがある。アメリカ人は思わない。田中角栄さんは「力は数、数は金」と言いました。
多数決というのは話し合いがつかないときに取る非常手段です。話し合いでみんなが納得するのが一番いい。全員納得できるまで話し合ったということが民主的なんです。最終的に反対意見の人も、「私は反対だけど、みんながそう言うならいい」となるのがいい終わり方です。 途中で絶対に感情的になってはいけないです。
□どうしても決めないといけない場合
「今度の連休どこへ行くか?」は期限があります。期限がある場合は、とても残念ですが多数決にします。学校はそんなふうに教えてくれない。
□多数決にできる議題とできない議題
子どもには責任を取れない議題があります。これは親がやらないとしょうがない。最も極端なのは離婚です。子どもは親の離婚には反対する権利がないです。親の課題ですから。離婚の結果どうするかには発言権はあります。離婚そのことは親の課題で、子どもに決定権がない。
これは極端ですが、さまざまな細かいことで、誰には権利があり、誰には権利がないか考えないといけません。親戚の法事には全員出席することになっているなら、子どもは「反対」と言えない。
□権利と責任
民主主義というのはみんなが同じ権利を持つことでなくて、責任に応じた権利を持つことです。ですから責任を取れないことについては権利がない。国会議員は同じ責任を取れます。株主総会は、持ち株数に応じた権利があります。責任に応じています。これが民主主義的平等です。大人と子どもは取れる責任の量は同じではない。責任の量に応じて権利があります。
議決権はなくても発言はできます。言論の自由は基本的人権で、すべての人に発言権はあります。決定権は責任の負える人にのみあります。会社の社長と会議の関係みたいなものです。ブレインにも発言権はありますが、決定は社長です。決定権と発言権を分けること。
子どもが私立へ進学したいと言ったら、学費の支払いが可能であれば、決定権は子どもにある。子どもの人生に返ってくる問題だから子どもの課題です。親は子どもの学校選択に最後まで責任を取れない。ですから、子どもがどこへ進学するかについては多数決にできない。
でも全員に発言権はあります。「おにいちゃん、あんな所やめて」と妹は言える。親は「あんな高い所やめて」と言ってもいい。が、決められない。これが民主主義です。
民主主義は、一面では徹底的に話し合う。一面では責任のある人が決定する。そうしないと無責任システムを作ってしまいます。
子どもの課題について決定権は最後まで親にはありません。逆もあります。これが理解できていないと、口出しっこをするでしょう。お互いの課題には口出しできないんです。これがわかるところまで成熟しないと家族会議できません。
□民主的な会議
会議ができることが問題でなく、民主的な会議ができることが問題です。ただ集まって話し合うのではない。
われわれの親は民主主義を知らないから教えてくれなかった。アメリカ人もほんとはよく知らない。アドラー心理学の本には1ページに3回くらいデモクラシーが出てきます。ということはあまり知らないということです。
ほんとに協力的な姿勢は何か。ほんとに一緒に作戦をこなしていくとは何なのか。責任を分担することではない。それは無責任です。連帯責任は最悪の反民主主義です。何となくボヤッとぼかすあの精神は民主主義からほど遠い。はっきり「これは私の仕事」と全員が自覚することが民主主義で、それを学んでいきたいです。
権利と責任があるから完全に同じではないですが、でも完全に平等、対等です。父親の転職について、妻も子どもも発言はできるけど決定できない。「誰の課題だからどう」ということが大事です。転職は子どもに影響はあるだろうけれど親の人生に関わることです。子どもの進学に親は影響はあるだろうけれど決定できない。決定はできないが発言はできる。これだと構造は平等です。
アドラーが「個人心理学」と言った背景は、人間の運命は最終的には「個人」に責任があるということですが、日本人は、なるべく他の人に分担させたい。
日本の会議は形式だけみたい。先に根回しがあって、結論が決まっている。最後に手をあげてシャンシャン。ここから賢い知恵は出てこないです。
昔の農村では、話し合いはあって多数決はなかった。誰かが決めたか。誰も決めなかった。2日も3日も集まって話し合った。水利や作つけについて。みんな意見がある。不満がある。2日も3日もやっていると、恨みも辛みもみんな出て、言うことを言い尽くして、何となく決まった。あれが正しい会議です。
最後多数決で決めるのは間違っています。先に根回しがあって結論があってそれを決まった形にするのは間違っていあmす。
会議はみんなが思っていることをたくさん言って、その結果みんなが納得して一つの方向へ行く。現状は、その方向性が見失われています。
<目標達成>
□家族は共同体
家族は1つの共同体ですから同体としての目標があります。家族はどんなふうに暮らしていけばいいか?目標達成して暮らしたい。
□第3段階は目標達成
ちょっと前まで「問題解決」と言っていましたが、今は「目標達成」と言います。家族の中の問題解決をしていくという発想は、どこまで行っても勇気くじきで、「今ある問題さえなくなればしあわせ…」というのは神経症的発想です。「人目さえ気にならなければしあわせ」「不安さえなくなればしあわせだ」と考えるのは神経症でしょう。
□健康な考え方
「~がなければ」でなく「~がある」のがしあわせです。人目が気にならなくなったらその人の人生はカラッポ。「人目がどうあろうと友だちができたら」だとしあわせです。問題がなくなるのでなくて新しいものを獲得する。
家族会議が成熟していくと、他人が違う意見を持っていても動揺しなくなります。「お母さんはあんなこと思ってけしからん」だったのが、「お母さんはああ思うんだ」と思えるようになって、そのとき、目標達成について話し合えます。どんなふうに暮らしたいかを。
「散らかっているから片づけよう」は問題志向です。「きれいにするにはどうすればいいか」とではできあがりが全然違う。「片づけなさい」よりも「棚を吊ろう」という発想です。「棚を吊ろう」は「片づけなさい」という発想からは出てこない。問題を取り除こうというのは視野が狭く、水平思考ができにくいから何も出て来ない。水平思考は問題解決のために既成の理論や概念にとらわれずアイデアを生み出す方法です。困ったから解決しようという持ち出し方をやめよう。何を達成しようとしているのか、別の言葉に読み替えましょう。
夜遅く騒いでいる子どもたちに早く寝てもらいたい。「やかましいのが問題だから、早く寝ましょう」と言うとトラブルが起こって、「寝るとか寝ないとかは私の課題だ」ということになるでしょう。「くつろいだ夜を過ごしたい」という切り出し方をするとうまくいく。
パリでは多くの人がアパート暮らしで、ブルボン王朝時代からアパート暮らしでした。旧市街は淀川区より小さい。個人の持ち家はほとんどない。そうやって400年暮らしていますが、うまい暮らし方をしています。狭いアパートを工夫している。ベッドは壁から出るとか。で、近所にピアニストがいました。カフェで稼いでいる。お稽古で毎日『ハノン』をやる。この音だけではくだらない。そこで週1日「サービス日」を作って、自分の部屋でコンサートをやりました。日ごろ迷惑をかけているから。騒音をなくそうと思わない。騒音をなくすにはハノンをやめないといけない。ピアノの音を楽しんでもらうにはどうすればいいか。週1日は名曲が流れるんだと得をした気になる。問題解決するんじゃなくて、あるアクションを起こすことで、新しい段階に達しようとすることです。
□決めることがなくなったら
家族会議は、快適だからずっとやっていいですが、2~3年やると決めることがなくなります。そうなったら、定例でなく、困ったことが起こったときだけ開くのがいい。やり方はわかっているし、しょっちゅう話し合う出来事がなくなっているから、1年に2、3回臨時召集するとか。
<うまくいまない場合>
□メンバーが乗り気でないのは
招集をかけても誰も来ないのは時期が早い。カウンセリングなら「治療抵抗」です。お客が抵抗するのはカウンセラーのウデが悪いから。会議に来ないのは抵抗で、召集する人のウデが悪い。
時期尚早だから基礎を固めてからやること。「会議をやっても大丈夫、ひどい目に遭わない」と、みんなが思うようになってから始めることです。
□部分的に来て部分的に来ないのは
部分的に来るならオッケーです。家族会議というアイデアに反対する権利があるから。そういう人は来なくていい。あらゆることを願っていいが、押しつける権利はない。反アドラー心理学派がいるのは、押しつけていない証拠です。そう思うと反対はなくなる。世の中はパラドキシカルで、押しつけなくなると、アドラー式になります。
□だんだんもり下がるのは
だんだんもり下がるのは、勇気づけが足りないからです。家族会議は勇気づけの実践の場だということを忘れない。。
□勇気づけは
勇気づけは、プラスの変化、良くなったことを話すこと。努力したこと、頑張ったことを話す。少しでも向上していること、結果より姿勢を話題にする。いつも他人に感謝する。他の人に貢献していることに注目する。他の人への貢献が人間の健康さの大きな条件です。神経症的な人は自分が助かりたいだけです。どんな状態であっても他の人たちを助けたいと思うと助かる。多くの人は、自分が勇気づけられたとか、傷つけられたとかには敏感ですが、自分が人の勇気をくじいたことにはいい加減です。これではアドラーではない。アドラーが教えてくれたのは、「みんなに勇気づけられて生きましょう」ではない。「みんなを勇気づけて生きましょう」です。
家族会議がうまくいかないのは、「私がみんなを勇気づけていない」「メンバーが他の人に貢献していることに注目していない」から。協力関係というのは勇気づけ合うこと。勇気づけ合うというのは「私が他の人を勇気づける」ということ。
□感情的になったら
私がムカッとしたなら落ちつく努力をすること。とにかく発言しない。「落ち着くまで黙っています」と言う。
全員エキサイトしたら、議長は休会にして、次回回しにします。「興奮していると話ができませんから、継続審議。次回まで冷静に考えてください。閉会」と言う。1回で徹底的に話し合わない。急いで決めないといけないということはないか。期限つき議題であっても、まあ結末を体験するチャンスです。決めなかったら最終的に何も起こらない。連休のチャンスを逃がしたと、結末から学びます。
一方で勇気づけ、一方で結末に委ねること。決まらないものは決まらないままでいい。勇気がいりますが、流すのもいいことです。時間を置く。時間というものはいいもので、あのときあんなに大事に思えたことが、2日3日するとどうでもよくなります。1週間後には議題そのものが消滅することもあるでしょう。結局、権力闘争をしていたんです。
□会議の話題を外で話さない
会議の話題を会議の外で話さないのが原則です。途中で子どもが、「この前の会議のあれだけどね」と言ったら、「次の会議で話しましょう」と言います。家族の重要な問題を全部家族会議へ持っていくんです。そうするとふだん、重要でない話題だけ残るでしょう。大事じゃない時間を一緒に過ごすのはいいことです。「親子の対話が大事」と新聞や雑誌にいっぱい書いているけど、何のことかわからないよ。
一番大事なのは「遊び」のレベルです。これがコミュニケーションの基礎ですから。地味だけどこのレベルが充実しないと他のことができない。情報共有や目標達成を全部家族会議へ持っていく。ふだんは、「あの親子年がら年中遊んでばっかりいるね」という家族にしたい。
これは夫婦カウンセリングにも応用できます。(もめてる夫婦は)家で話し合わないこと。何かあったらメモしておいて、次回のカウンセリングに出す。そうすると、家で喧嘩しなくなるでしょう。
□ひとりで長々としゃべる人
ひとりで長々しゃべる人がいる。たいていは親ね。この場合は発言を止める合図をします。机を叩く。札を出す。三角形の柱を立てる。「他の人の発言を聞きましょう」と。誰が立ててもいい。長々としゃべるのはまとめ方が悪いからですから、遮るルールを作っておきます。
□会議が終わってから不服なとき
終わってからしこりが残っているのは、次回の会議に再チャレンジします。一事不再審は採用しない。しこったままになることがあるから、もう1回会議に出して納得できるまで話をしましょう。多数決主義でないから。不満が出たらいつも継続です。何も決まらない会議でかまわない。決定が大事ではない。協力し納得することが大事です。裁判だと上訴途中で死刑はないです。
□とにかく始めてみる
始めるのに時間がかかるかもしれない。半年後でもいい。それまでにやり方をよく考えておく。難しいことを言ったからできないと思うかもしれないが、いつも不完全さを受け入れる勇気を持って、とにかく取りかかってみる。
抵抗があれば、私が悪いと考える。どこが悪いかチェックしてみる。何か間違っている。人間は間違うものです。やってみると感情的にもなるし、他人の課題に口出しもするし、勇気くじきもする。そのとき、相手が悪いと思わないこと。私のどこが間違っていたかと思う。「悪いあの人」をやると、進歩が止まる。アドレリアンの修業としては激しい荒行・苦行だが、それでも楽しいはずですからやってみましょう。
完