4 第三幕 第一場 足利家奥殿の場 ここは、「仮名手本忠臣蔵」の「殿中松の間(廊下)」と並んで歌舞伎でも最も有名な場面だと思います。「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の「御殿の場(政岡忠義の場)」です。「伽羅」では前半の、政岡が茶道具でご飯を炊く場面(通称「ままたき」)をきっちり上演するので2時間ほどかかりますが、「伊達の十役」では前半を思い切り縮めて、「ままたき」は一切省略されます。 さて、不行跡を理由に、頼兼は将軍家から隠居を命じられ、家督を幼い鶴千代が継ぐことになりました。すると、弾正一味はいよいよ鶴千代を暗殺しようと動き始めます。このことを察して、鶴千代の乳母の政岡は、配膳される鶴千代の食事を全部捨てて、茶道具で自ら調達したお米でご飯を炊いています。若君の毒味役兼遊び相手のわが子・千松には、若君の命を守るためには毒でも何でも食べるように、常日ごろ言い聞かせています。 舞台は御殿奥の間です。御簾が上がると、下手にあるはずの風炉(野点用の茶道具か)がこのお芝居では省かれていて、奥に茶箪笥だけがあります。中央に紫の袱紗のかかったお膳を持って立つ政岡。右に若君・鶴千代君、左に政岡の子の千松が座っています。 若君が「のー、乳母、大名というものはひもじいと言うものではないと、そちが常々言うので、わしはひもじいとは言わぬが、さっきから空腹じゃ。その膳のものを食べてはならぬか?」。政岡はやさしいながらもきりっと、「そのお膳を差し上げるくらいなら乳母は苦労はいたしませぬ。よーお聞きあそばせ。今、御館には悪人はびこり、忠臣の荒獅子男之助は退けられ、少しの油断もならぬありさま。差し出されるお膳はみな庭に捨てさせて、御膳はこの政岡が自ら炊いて差し上げますのは、もしや、毒薬の、(あたりをうかがい)企みなどあってはならぬと思うゆえ。どうぞご辛抱あそばせ。この千松も、この4,5日は三度の食事も日にたった一度。千松、そなたはえこう強うなった。強い強い強者じゃ」とほめちぎる。千松は、「侍の子と言うものは、何にも食べぬが忠義じゃと、かかさんが常々言わしゃったゆえ、こうしてお膝に手を置いてじっと待っております。そうして食べるときには毒でも何でも食べて忠義をいたします。お腹がすいても、ひもじゅうない」。それを聞いた若君は、「いいや、千松よりわしのほうが強い。大名というものは空腹でも何ともないものじゃ。わしは強い強い強者じゃ」。政岡は今度は若君をほめちぎります。「そのお強さはとても千松などのかなうところではない。こうお強うては、ままの支度に取りかからねばなるまい。これ、千松、ままが炊ける間、お気に入りの雀の歌をお聞かせしや。そろそろ親鳥が子雀に餌を与えに来る時刻」と、自分は打ち掛けを脱いで、緋色の着物姿になりご飯を炊く支度にかかろうとする。千松は立ち上がろうとするが、お腹がすいて力が出ない。何度も転びながらやっと立ち上がって、若君の前に鳥篭を置く。政岡から餌のお米をもらって、畳に撒く若君。残ったお盆の米を全部撒く政岡。千松は座って歌い始める。「なーなつやつから金山へー。一年待てどもまだ見えぬ、二年待てどもまだ見えぬ……」。親雀が飛んできて畳の上の米粒を篭の中の子雀に与える。若君「あれあれ親雀が子雀に何やら食わしおる。わしも早うあのようにままが食べたい」。千松も「かかさん、ままはまだかいなー」。「これ千松、行儀の悪い」とたしなめる政岡。突然、親雀が一斉に驚いて飛び立つ。政岡「はて、心得ぬ。最前までおとなしかった親雀が突然飛び立つとは」と天井を見上げて、手裏剣を投げる。天井から忍びの刺客が落ちて、政岡に斬りかかる。それを見事にさばく政岡。当て身を食らわせて刺客を退散させる。このシーンは「伽羅先代萩」にはない。猿之助が加えたのだろう。この後、「伽羅先代萩」では、茶釜で炊いたご飯を小さなおにぎりにして2人に食べさせているところへ栄御前の入りとなるが、今回は、おにぎりはなくて、いきなり「栄御前様のお入り-」との声。政岡「はて、心得ぬ。管領・山名家の奥方栄御前様のお入りとは」と言いながらも、奥からお女中を呼んで、脱いでいた打ち掛けを持ってこさせて着る。上手の襖が開いて、弾正妹・八汐に続いて田村右京之助妻・沖の井、渡辺民部之助妻・松島が「栄御前様のお入りとな。どりゃお出迎えいたしましょう」と出てくる。この八汐は悪役ながら大物俳優が演じることになっている。今回は、二代目中村鴈治郎です。政岡は、千松に「常々言いつけていること、よいな」と念を押して、次の間へ去らせる。鶴千代を先頭に正装した政岡、八汐、沖の井、松島と並んで栄御前を迎え入れる。「お入り-」との声とともに、花道を女中に案内された栄御前(演者=嵐雛助)が登場する。 花道七三に立った栄御前「どれどれも出迎え大義」。政岡「これはこれは栄御前様にはようこそのお出で。して本日お越しのご用の向きは?」。栄「今日自ら来たりしは、当家の主・鶴千代には男どもを御殿から遠ざけ、食事も進まぬとのこと。管領家より見舞いのお菓子をくだされたゆえ、夫に代わってこの栄が届けにまいった」。政岡「いざまずこれへ」と栄を上座に招き入れる。栄「これ八汐、そなたはかろうてたも」。八汐「ははー」と立ち上がり、菓子折をうやうやしくいただいて中身を改め、「これはまあ、結構なお菓子。早うちょうだいあそばせ」と若君の前へ。空腹に耐えかねていた鶴千代は、思わず手を伸ばす。それを止める政岡。栄「これ政岡、なぜ止めた。管領家よりのくだされものを怪しいと思うてか」。政岡は返答に窮する。栄「自らがさずけようか」。政岡「さあそれは」。2人で「さあ」「さあ」「さあ」と押し問答。栄「政岡、返答はいかにー」。奥より千松走り出て、その菓子わしにとひっつかみ」と義太夫。菓子を頬ばって菓子折を蹴散らす千松。毒が回って「あー」と走り回る。たちまち八汐が懐剣を抜いて、千松の首筋目がけてひと突き。「あー!」と悲鳴を上げる千松を膝に抱いて首筋を懐剣でえぐる八汐。驚く沖の井、松島。政岡は少しも慌てず、若君を打ち掛けの中にかくまって、じっと耐える。八汐「やー、何をざわざわと騒ぐことはないわいのー。小さいガキでも大切な菓子を踏み割りしは上への無礼。それゆえに手にかけたはお家を思う八汐が忠節。これ政岡、現在のそなたの子の苦しみ、何ともないか。他人のわしさえ涙がこぼれる」。政岡「何のまあ、それよりも、お上に対して慮外せし千松、ご成敗はお家のため」。八汐「そりゃ、これでもか!」となおも千松の喉をえぐる。「あー」と悲鳴。義太夫が「男勝りの政岡は涙一滴目に持たぬ、忠義は千代末代までも」と語る。栄は顔を隠した扇の隙間から一部始終をじっと眺めている。栄は八汐に向かって、「でかした八汐、管領家よりの大切なおん菓子。小児と言えども踏み割りし無礼は許されぬ。すんでのところでこっちの企み……」と言いかけて口をつぐむ。さらに「皆の者、しばらく次の間へ下がりゃ。政岡に言い聞かせることのあり」。八汐、沖の井、松島「すりゃ私どもも」。栄「遠慮してたも」。八汐は散らかった菓子を拾い集め折にしまってそれをたずさえ、千松の死骸を見下ろして憎々しげにほくそ笑んで、次の間へ去ります。憎い憎い悪役ながら客席から声がかかります。「成駒屋-!」。(つづく) |