自叙伝06-06

【相談室の親睦旅行】
 教育相談室では、1992年12月に初めて、親睦旅行を行いました。佐藤室長のときです。2学期末考査期間中の日曜日に実施しました。初回は、私の提案で奈良県明日香村を巡りました。参加メンバーは佐藤室長、英語のI先生、保健室のE先生、そして私でした。新幹線で新大阪へ向かう車中からすでに盛り上がって、特にI先生は、佐藤室長をとても尊敬されていて、一緒に旅行ができるので、まるで子どもに返ったように大はしゃぎでした。新大阪から大阪経由で鶴橋までJR、そこから近鉄に乗り換えて「岡寺」で下車しました。岡寺駅からお寺の「岡寺」までは徒歩で行くには遠すぎて、バスで20分もかかりました。こんなに離れているなら違う駅名にすればいいと、1人でブツブツ言いながらも、大和路の田園風景をたっぷり味わいました。バス停「岡寺」からさらに10分ほど歩くと、荘厳な姿が現れました。



 岡寺は日本最初の厄除け霊場で山の中腹にあり、坂を上ると重要文化財に指定されている鮮やかな朱色をした仁王門が現れます。本堂などはその奥、石垣の上に建ち並びます。本尊、如意輪観音座像は塑像(土で造られた仏様)で、弘法大師の作と伝えられ、塑像としてはわが国最大の仏像です。本尊は厄除け観音で知られ、古来より信仰を集めています。4月中旬からはシャクナゲの花約3000株が咲き誇り、桜、サツキ、秋には紅葉も美しい。さまざまな伝説を残した名僧、義淵僧正が天智天皇2(663)年に創建しました。
 岡寺をあとにして、のんびりと「石舞台古墳」まで散策です。日本版ストーンヘンジの石舞台も凄いですが、私はそばを流れる「飛鳥川」に思いを馳せました。またまた高校の古典で習った「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は世となる」です。「徒然草」二十五段にも、「飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時移り事去り、楽しび・悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人あらたまりぬ。桃李(とうり)ものと言はねば、誰とともにか昔を語らん。まして、見ぬいにしへのやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき」とあります。
 現代訳では、飛鳥川の淵瀬は絶えず氾濫し地形が変わっていたという。そのように常ならぬ世の中であるから、時移り事は去り、楽しみ・悲しみ行き交って、はなやかであった辺りも人の住まぬ野原となり、家だけは変わらなくても住んでいる人はあらたまっている。桃や李はものを言わないので昔を共に語らうわけにはいかない。誰とともにの昔を語ればいいのか。まして、見たこともない昔の尊い方がすんでおられた跡などは、たいそうはかないものだ、ということになります。
 高校2年の「古典」で、“反語”を習って、あちこちの文献からその箇所を見つけては喜んでいました。ここでは、「何か常なる」の「か」が反語です。意味は「どうして常であろうか、いいえ、ありはしない」と言うことです。西行法師の歌に「嘆けとて月やはものを思わするかこち顔なるわが涙かな」というのがあり、ここの「やは」も反語です。「もっと嘆け悲しめとあの月が言うわけではないのだが、月にかこつけがましく流れ出る愚かなわが涙であることよ。月はただ無心に照っているのに」と、自分を捨てた恋人を恨んでいるんでしょう。
 続いて、聖徳太子ゆかりの橘寺をたずねました。ここでは北方に天の香具山がのぞめて、すぐに万葉集の歌を思い出しました。大化の改新を行った中大兄皇子(天智天皇)の娘である持統天皇(おー!女性天皇です)の作です。
 「春すぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山」:春が過ぎて夏が来るらしい。真っ白な衣が干してあるよ。天の香具山に。
 この歌がのちの「新古今集」では、「春すぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」となって、微妙な意味の違いが出てきます。高校時代に古典の授業で習いました。万葉集のほうは写実的で、新古今のは観念的です。
 橘寺の向かいにある川原寺(かわらでら)は、飛鳥寺(法興寺)・薬師寺・大官大寺(大安寺)と並び「飛鳥の四大寺」の1つに数えられた大寺院でしたが、中世以降衰微し廃寺となりました。現在は跡地にある真言宗豊山派の弘福寺(ぐふくじ)が法燈を継承しているそうです。跡地だけが国指定の文化財というのは、さすが大和地方です。そういえば、備中国分尼寺も跡地と礎石だけが残っています。豪華絢爛な伽藍が堂々と残っているよりも、いかにも仏教らしい諸行無常の風情を感じさせます。
 お昼ご飯は、岡寺バス停そばの寿司屋に居座りました。まずは冷えたビールで喉を潤し、時のたつのを忘れて豪華な料理を堪能しました。岡寺駅まで戻るバスが本数が少ないので、予定のバスを逃さないように、時間を気にはしていましたが、無事乗れました。帰途は、大和西大寺で大阪難波行きに乗り換えますが、少し時間に余裕があって、1つ手前の「尼ヶ辻」で下車して、唐招提寺へ寄ることにしました。駅から寺までの途中に池があって、たくさんの鴨が休んでいました。佐藤室長が「あの鴨は毛糸の帽子を被っている」と言うので、全員「まさかー!」と全員大爆笑です。夕方の唐招提寺はまた迫力がありました。私の一句「沈む陽や御陵の池に鴨の群れ」を職場の句会に出したら、会長の中原先生だけからだけお褒めをいただきました。唐招提寺にはかつて夏のさかりに訪れて、金堂のひんやりした空気に癒やされたことがあります。今は冬でその必要はありません。「天平の甍」で有名な鑑真和上のお像を拝めないかと境内を巡りましたが、そこは特別エリアで入れませんでした。芭蕉の「若葉にて御目のしずく拭わばや」の句を思い出して去りました。
 こうして一行は無事に岡山へ帰りました。よく歩き、よく食べよく飲み、よく笑った1日でした。これから毎年この時期に親睦旅行に行くようになりました。
 93年は、例の高体連全国理事の室長I先生も親睦旅行には参加されて、京都へ行きました。午前中に東寺から東福寺を巡ります。京都駅から近鉄で一駅目の「東寺」で下車すると、鞍馬天狗の映画でも有名な東寺です。五重塔は、新幹線で京都駅を通るとき南方に必ず見えます。奈良時代様式の古い伽藍配置が厳かで、私も大好きなお寺の1つです。ここから九条通をゆっくり歩いて東福寺へ回りました。ここの廊下は映画やドラマでしょっちゅう使われています。あまり頻繁に画面に出るので、「また、あそこ」とすぐわかります。映画「陰陽師」にも「大奥」にもここが出てきましたし、ドラマ「おみやさん」は京都が舞台である関係で、ラストシーンなどでよく使われています。東福寺から奈良線で一駅の京都駅まで戻って、駅内でお昼ご飯にしましたが、あいにく満員状態で、一か所での食事ができなくて、2班に分かれてしまいました。これがきっかけになって、午後の散策では、I先生は個人行動を希望され、一行から離れてしまいました。他のメンバーは四条大宮から嵐電で嵐山~嵯峨野を巡ることになりましたが、四条大宮駅で養護教諭のE先生たちが私たちの乗った電車に乗り遅れてしまい、最終目的地の化野念仏寺で会うことはできました。嵯峨野を歩いて、祇王寺などに立ち寄りましたが、帰途をめぐってまた意見が分かれて、私が希望した阪急で「桂駅」へ出て、そこで乗り換え「南方」で下車して少し歩いて「新大阪」へという案は却下されて、結局、「嵯峨嵐山駅」からJR山陰線で京都へ戻って新幹線というコースに決まりました。それはいいのですが、今度は個人行動をとっていたI先生が京都駅のホームに1人残されて、残り全員が新幹線電車から彼の姿を見ながら発車するというハプニングがありました。とにかく、バラバラな親睦旅行となりました。
 次の94年は、A室長、児玉先生ご夫妻とお嬢さん、私と同い年のY先生、非常駐のM先生が参加され、京都へ行きました。まずは、新幹線で新大阪へ。そのまま京都まで行けばいいところを、JRで大阪へさらに環状線で京橋へ、そこで京阪特急電車に乗り換えて「京阪三条」へ向かいました。京津線に乗り換えて、「蹴上」で下車、インクラインを横目に歩いて南禅寺を訪れました。ここの山門も、水道跡も有名で、よくドラマに出てきます。散策のあと、名物湯豆腐をいただきました。この年は、平安遷都1200年記念の年で、特に観光客が多かったです。児玉先生のお嬢さん・さくらちゃんはとてもお行儀が良くて、大人たちが湯豆腐をいただいている間は、機嫌良くおねんねしてくれていました。写真は「哲学の道」でのスナップです。児玉夫人が撮ってくれました。さくらちゃんを抱っこしている児玉先生の若いこと!私とのコンビはその後ずっと続きます。哲学の道を銀閣寺まで歩いて、ちょうどこの年、NHK大河ドラマ「花の乱」の人気でごったがえしている境内を歩いていると、職場の同僚・教務課長の赤松先生とばったり出会うハプニングがありました。続いて、元気を出して金閣寺へ回る予定でしたが、夕暮れになったため、バスで京都駅まで戻りました。バスもぎゅうぎゅうの満員で、すし詰めの車内で立ちっぱなしでした。それでも前年と大違いの和やかな1日となりました。