自叙伝06-05

【相談室の変化2】
 1994年度には、私が室長になるという下馬評が見事にはずれて、電気科のA先生が室長として見えました。この方は、倉敷工業高校で相談係をなさったそうです。もちろんロジャース派です。それよりもビッグプレゼントは、児玉先生がこの年に相談室の常駐スタッフになりました。A先生は実習授業の関係で科の職員室にいらっしゃることが多くて、相談業務はほとんど児玉先生と私でやりました。A先生は、事務的な仕事を全部引き受けてくださったうえ、相談室のあちこち改良されました。
 私のほうは、教育センターの相談員が93年3月で終わりました。その時点で終結していなかったカウンセリングを、この相談室で続行できました。そうこうしているうちに、校長も教頭も、私たちの存在を高く評価されるようになりました。生徒指導会議などでも、生徒の処置・指導については、必ず私たちの意見を聞かれます。
 学校は第2&第4土曜日が休みになったおかげで、前日金曜夜のアドラーギルド事例検討会へ通いやすくなりました。毎回、児玉先生、M先生さんと一緒です。途中、西明石の手前で、妹のマンションのそばを新快速が通過しますが、事前に時刻を知らせておくと、ベランダから手を振ってくれていました。定期的に大阪へ行くので、新幹線や在来線の回数券を利用していました。
 ある日の事例検討会では、ケースの相談がなくて、ロールプレイをすることになりました。私がカウンセラー役です。ところが、クライエント役の女性と相性が悪かったのか、私も下手だったんですが、うっかりクライエントの言われたことを聞き逃したので、「もう1回巻き戻して」とお願いしたとたんに、野田先生が、「はーい、不合格」。それまでのケースがうまく進んでいたので、ショックでした。でもこれが実力だと自分に言い聞かせて、カウンセラー養成講座を再受講することにしました。野田先生に申し込むと、ニコニコと「ボーナスを当てにしています」というお返事でした。全8日間は大変なので、その年と翌年の2回に分けて再受講しました。ここで、「開いた質問」でしっかり情報を得ることと、解釈投与を急がないことなどを肝に銘じました。
 アドラー心理学会総会は鳥取県皆生温泉で開催されました。この年から、M先生が一緒に参加されました。児玉先生はラグビー部の引率で多忙のため当時はずっと不参加でした。M先生と私は合宿を嫌って、米子駅そばのホテルをとりました。当然、別室です(笑)。総会初日は午後開始で、M先生手作りのおはぎを米子駅前の広場で昼食としていただきました。M先生はアドラー心理学にすっかりはまって、その後は、私の知らない間に、アドラー関係の講座にはほとんどすべて参加されていました。
 米子駅から皆生温泉までバスで30分と、移動にはお手頃の距離です。この総会は前年までと雰囲気が違って、ギクシャクとざわついている感じでした。『SMILE』運用をめぐって関東と関西のズレが明白になったからです。渦中の人物・関東の有名なリーダー坂本氏の弁明を期待していたら、彼女は欠席されました。さかんにアドラー心理学の“誤用”が取り沙汰されました。SMILEを子どもの援助のためではなく、親の思う方向に子どもを操作するために使われていて、関東と関西の交流が盛んになるにつれて、東京と大阪でSMILEに温度差があることが判明してきました。大阪で高橋さと子さんのSMILEを受講した関東の人たちが、「東京で学んだのと違う」とおっしゃって、その声がしだいに大きくなったのです。これから3年ほどお家騒動のゴタゴタが続き、東京のヒューマンギルドがアドラー心理学会から離れていきます。まさにアドラー心理学の“関ヶ原の戦い”です。
 室長さんのご尽力で、相談室には換気扇がついて室内禁煙になりました。さらにタイルの床がカーペットになりました。この学校はどこも土足で出入りできましたが、カーペットですから当然土足禁止になりました。フロアーにそのまま座れるので、かなり大勢を収容できます。色気づいた男子生徒は、女子が入室するたびに衝立の陰で仰向けになってスカートの中を覗こうとします。まあ、健康な証拠だと、黙認していました。そのうち碁盤と将棋盤を出しておくと、昼休みや放課後に熱中する人がますます増えてきました。囲碁好きなスタッフが指導してくださるので、生徒たちはどんどん腕を上げます。私の役目は基礎を教えることです。基礎を教えた私をすぐに追い越します。私を越えていった生徒たちは、まもなく校内で囲碁の強い先生たちと対戦するようになりました。囲碁同好会が、彼らの加入で実力を増し、数年後には活動のピークを迎え、県大会や全国大会で好成績を上げるようになります。
 ある日、クラスで友だちがいなくて独りぼっちの男子生徒が来ました。私が授業に行っているクラスの生徒です。やがて彼は、朝の始業前、各授業の休憩時間、昼休み、さらに放課後と、まるで相談室を住み家にしているように、ここから教室へ通うようになりました。相談室スタッフは、特別なことは何もしてあげません。それぞれ自分の仕事をしていたり、食事をしたりしながら、世間話をしています。そのうち、別のクラスからも独りぼっちの子が来て、この部屋で友だちになりました。相談室が仲人役をしたことになります。
 授業中に教師とトラブルを起こした生徒が、興奮して相談室に飛び込んできたりします。「ちょっとおらせて」「どうぞ」。そういう場合も、「どうぞ」と言ってあとは放っておきます。しばらくの間、勝手に室内の本を読んだり、ノートを出して自習して過ごします。次のチャイムが鳴ると、「ありがとう」と言って、室へ戻ります。後ろから、「何か力になれることがあったら、いつでも来てください」と言うと、「はーい」。

 ある日の昼休み。土木科の女子生徒がやって来て、「先生と一緒にお昼ご飯を食べてもいいですか」と言う。えー!女子が僕とお昼ご飯を食べたい???…わが耳を疑いました。「いいですよ」と喜んで迎え入れて、面接コーナーに机を向かい合わせました。早速2人でお昼を食べ始めましたが、しばらくは雑談ばかりでした。いよいよ食べ終わるころ、ポツッと語り始めました。「あのねー…」「うん」。「JRの定期券を不正使用したのがバレたんです」「それで?」「お父さんは、はじめすごく怒ったけどすぐ治まって、罰金を払ってくれて、『これからはこんなことをするな』と一言だけ言いました」。それまで父親とあまりいい関係でなかったが、このことがきっかけになって父親に親近感を持てるようになったそうです。「で、なんで僕に話す気になったの?」「JRは、学校へは知らせないと約束してくれました。黙っていればそれで終わりだけど、誰かにうち明けておきたいと思ったんです」「お父さんといい関係になれてよかったね。僕に話してくれて嬉しいよ」。 こういうとき当然教師には、生徒課に通告する義務があります。通告すればこの生徒は間違いなく謹慎指導です。ここだな。野田先生が「教師がカウンセラーをするのは無理」とおっしゃっていたのは。野田先生は「スクールカウンセラーは生徒・保護者の弁護士だ」とおっしゃいました。この力強い教えに支えられて、報告しないことにしました。真面目な先生だとこうはいかないでしょう。何しろ学校からお給料をいただいている職員ですから。この女子生徒は、たぶん授業の私を見て、「この先生ならうち明けても大丈夫」だと信じてくれたのでしょう。カウンセラー資格をいただいた当時、いくら相談に来てと宣伝しても誰も来なかったのは、こういう信頼関係が築けていなかったということが、この件を通じて納得できました。
 彼女は晴れやかに教室へ戻りました。これ以後、お昼ご飯を相談室で食べたい生徒がちらほらと現れるようになりました。しばらくの期間、昼休みの相談室での昼食を許容することにしました。
 相談室はどんどん来室者が増えて、フロアはほとんど満員状態です。初めのうちは、私が授業に行っているクラスの生徒が圧倒的に多かったのが、そのうちそうでないクラスの生徒も来るようになりました。そうなると場所取りが大変で、私と直接話したい連中“オッカケ”は早めに来て、まず私のデスクの足下に座り込みます。ここが1等席。その外側さらに外側と、いくつもの小グループの輪ができました。
 そのうち、最初に来た例の独りぼっちだった生徒が、コミック本を寄付してくれました。『金田一少年の事件簿』10冊です。続いて他の子が『名探偵コナン』を数冊。私が通っているスポーツジムのオーナーは、豪勢に、横山光輝の『アニメ・三国志』全40巻をすべて寄贈してくれました。このジムは私が作った筋トレ同好会(「ウエイトトレーニング同好会」)でも使わせてもらっています。これ以後、コミックを読むために来室する人もできました。職員も自宅から不要になったコミックを寄付してくれ、しだいに蔵書が増えました。私もボーナスで『おーい龍馬』全巻、文庫本『サザエさん』全巻などを寄贈しました。囲碁同好会の碁盤もたくさん借りることができました。昼食後の楽しみは、コミック、囲碁、将棋とわれわれとの対話です。学校には珍しいくつろぎスペースができました。“アザラシ村”と呼ばれていたアドラーギルドに似てきました。
 授業をさぼってこの部屋にいたいという生徒は皆無です。先生方も心得てくださり、授業中に生徒が興奮したりすると、「しばらく相談室で頭を冷やしてはどう?」とおっしゃるほどです。体育館行事をさぼりたくて、「ここにいていいか?」と言う生徒がいましたが、それは断りました。われわれがサボって部屋にいたのでは迫力がありませんから、そのときは施錠して、われわれも率先して体育館へ行きました。こういう配慮をしていても、事情を知らない、相談活動に好意的でない職員もいて、「相談室は生徒を甘やかす」と、影で悪口を言われていたらしいです。アドラー派以外のカウンセリングと混同しているんでしょうね。