自叙伝06-04

【アドラー心理学会総会のシンポジストに】
 1993年のアドラー心理学学会総会は京都・西本願寺門徒会館でありました。それまでは通いだったのが、この年から合宿形式になりました。私は合宿が苦手なので(学生時代からしっかりやったからもう十分)、新大阪のチサンホテルに泊まって、新快速電車で京都へ往復しました。
 この会で私はシンポジストに選ばれました。メンバーは鎌田穣さん、高橋さと子さんと私の3人がシンポジストで、司会は熊本大学の柴山教授でした。私以外は超豪華メンバーです。鎌田さんは、私の「基礎講座」の講師で、高橋さんは「スマイル・リーダー講習会」の講師で、ともに恩師です。柴山先生は、当時は野田先生の追っかけ仲間のお1人で、岡山のオープンカウンセリングの常連さんでした。こういうお歴々と私がどうしてご一緒できるのか不思議に思って、あとで野田先生におたずねしたら、「声の大きい人がいい」からだそうです(笑)。その野田先生が、前日のシンポジウムでは、私のことを取り上げて、「大森さんは岡山から新幹線で大阪へ事例を持ってお勉強に来られています。これが本当です。みんな私を呼ぼうとするが、私の所へ学びに来るのが本当です」と、紹介してくださいました。
 私は自分の持ち時間に、アドラー心理学と出会えたきっかけや、その後自助グループのリーダーHさんにお世話になったこと(“出る杭は打たれる”で意地悪されていましたが、ここで謝意を述べたために、その後は岡工講座にもときどきおいでになり、一時和解できたみたいです)、学校での仕事がやりやすくなって毎日の授業が楽しくなったことなどを話しました。
 前日のシンポジウムの顔ぶれは、サイコセラピーの名人方で、名越康文先生と伊東毅さん、内藤みちよさんで、司会は野田先生でした。その方たちのドラマチックでパラドキシカルなセラピーは、まるでマジックのようでした。総合司会は地元京都の岸見一郎先生と内藤さんで、これがまた見事なコンビネーションでした。
 機関誌『アドレリアン』(通巻13号)に熊本の田中真弓さんが「第10回日本アドラー心理学会総会に参加して」という記事を掲載されています。そこから引用させていただきます。

《10日のこと》
シンポジウム②
 シンポジストには臨床の分野から、伊東さん(千葉)、内藤さん(京都)、名越さん(大阪)の3人。それに野田先生が司会者で、会は爆笑することもしばしば。具体的な治療の事例を挙げながらで、非常にわかりやすく、興味深く聞けました。プロのセラピストならではということばかりで、私のような素人にできる技術ではないのですが、考え方は学べるところがあると思いました。例えば、不登校などをしている子どもを持つお母さんが子どもと一緒に相談にやって来る。お母さんは心配でたまらなくてそうしたのだけれど、当人は相談なんかしなくていいと思っている。「君はここに来たいと思うてるの?」「いいや」「じゃあ来なくていいよ」で終わって、カウンセリングに入る前に、当人の症状が消えることもある、とか(「課題の分離」を明確にしたということかな)。「劇的正対」(誇張した結果を本人に見せる)という方法でシンナーをやめさせる、とか。レバーにシンナーを注いで白く変化してゆく様子を見せながら、「これが君の脳だ」というショッキングなひと言。妙な暗示で当人の気持ちを変化させてゆく方法、とか。ある少女の治療では、「あなたの肩には何か付いているよ」と言いながら、背中をゆっくりさすってやったら「なんか肩が軽くなった気がする」。お母さんに、「これを毎日やってあげてください」と、その場でトレーニングまでさせるという徹底ぶり。それがきっかけでお母さんと娘の関係が良くなったということも。面白くて遊んでいるんじゃないかと思うくらい。でも、そこには常に「被治療者の人生の触媒(きっかけ)として自分(治療者)には何ができるか」という視点がありました。時には、職場で孤立したり、悪く言われたりしたこともあるのだそうですが、目に見えて治療の状態が良いので理解を得ることができたとおっしゃっていました。やっぱりアドレリアン・セラピーはすごい。
 …途中略…

《11日のこと》
シンポジウム③
 いよいよ最終日のプラグラムは並びも並んだり、シンポジストに大森さん(岡山の高校の先生)、高橋さと子さん(大阪・アドラーギルド)、鎌田穣さん(大阪・アドラーギルド)、司会は熊本大学の柴山先生。初めっから雰囲気が良く和やかな空気。
 大森さんは高校でカウンセラーという立場を与えられたのは良かったけど、今までの担当の先生たちは影の薄い人たちばかり。「自分はちゃんとやるぞー」と研修を積んだけど、全然お客さんが来ない。どうやら何年か前に、授業中に頭にきて生徒を椅子ごと廊下に放り出したのが、怖い先生という伝説として残っているらしい。そうこうしているときに、ある女生徒が「アドラー心理学って知ってる?うちのお母さんが勉強してるよ」という話を聞いて、いろいろと本やテープを借りたのがきっかけ。負うた子に教えられるってやつですか。でも、素直に生徒の言うことに聞く耳を傾けられるというところが、大森さんの素晴らしいところなのでしょうね。
 高橋さんは、アドレリアンのお母さんという感じの人で、そこにいるだけでみんなを勇気づけているという雰囲気を持った人です。高橋さんのお子さんは3人いて、一番上の娘さんが不登校になっちゃった。でも下のきょうだいたちともめ合うこともなく、それぞれの生き方をそれぞれに納得して生活できたのが良かったそうです。
 鎌田さんは、話が漫才師みたいに面白くて、笑い話を聞くような軽い感じで聞けました。だから何をしゃべられたのかまるで覚えていない。シマッタ。アドラー心理学を知ったきっかけというのがケッサクで、鎌田さんのお父さんの「アドラー心理学の初級講座に申し込んで金も払っておいたから受けるんだぞ」とのひと言。「あの親父を論破するためには敵を知らねばならないから受けてやるか」くらいの気持ちだったとのこと。それで、アドレリアンになっているのだから、アドラー心理学の持つ魅力というのは計り知れないですねえ。このシンポジウムは柴山先生が司会をされているということもあって、熊本のアドラーメイツに似た雰囲気がありました。シンポジストもようしゃべる。フロアーの人もようしゃべる。その中のひと言で、鎌田さんの「今までアドレリアンであらねばならないというふうに自分を縛ってきたように感じる」というようなことを話されたとき、私の思いとピタリと寄り添うものがありました。私も、アドレリアンとして、「こうあらねばならない」という決まりを作っていたような気がします。そしてうっかり、失敗したときは厳しく反省し、暗く落ち込んでいたと思います。不完全な私というものを許せない自分がありました。「今ここで私にできることは何か」と考えればいいだけ。自分を責めたって何も変わらないし、何も得られない。「どんなことを話しても、うまく話せなくてもいいんだよ」という雰囲気の中で、最後の1人の女性の話が印象的でした。大学受験を控えた高校3年生の息子がいる。ところが、今になって「センター試験は受けない。俺は花火師になる」と宣言。大学に行ってほしいと思っていた自分と息子とで懇々と話をした。そして、最終的には息子は自分の夢を追い、自分はこのアドラー心理学を身につけることを確認し合って、涙ながらに握手して、この総会に出かけてきた。これを話さないと後悔すると思って話しましたと語ってくれました。
 1人1人が自分の生き方を求めて生きていますよね。そのときにまわりの人が自分を勇気づけ、まわりの人を自分が勇気づけられたらいいと思います。そして、「幸せだなあ」と感じられたらいいと思います。そのためのアドラー心理学でありたいと思いました。
 ─引用終わり─