自叙伝05-10
【最初のアドラーメート】
1991年度は、教育センターでのカウンセリング開始、自助グループのお手伝い、アドラーギルドでの基礎講座とSMILE(PASSAGEの前身)の受講、校内では暗唱を軸にした生徒とのふれあい、職員劇の主役と、生き生きと過ごしていました。その私に、児玉雅弥(まさひろ)先生が目をつけました。毎朝の職員朝礼では、それまでは苦虫を噛みつぶしたような渋い顔をして座っていましたのが、穏やかな仏様ふうの顔に変貌しているのに気づかれました。彼は性教育委員会のメンバーでもありました。その児玉先生が、「最近何かあったの?」とたずねます。「どうして?」「何か表情が穏やかになって、別人みたい」とおっしゃる。
彼はラグビー部の顧問でもあり、自他ともに認める体育会系教師でした。その彼が最近、それまでのやり方に行き詰まっていたそうです。朝礼のたびに、彼の斜め前の席に座っている私が変化していくのに気づかれたそうです。
そこで、私は、毎月岡山市内・蓮昌寺で開催されている野田俊作先生のオープンカウンセリングを紹介しました。早速翌月から見学に見えるようになり、彼もすっかりアドラー心理学に魅了されました。毎回2人並んでかぶりつきで見学し、さらに一緒に「SMILE」を受講しました。ここで学んだ「お願い口調」が気に入って、すぐに職場で実践されました。例えば、それまで生徒に命令調で「~しろー」と言っていたのを、「~していただけませんか?」と直しました。「早くしろ!」「トロトロするな!」「罰に腕立て100回」「グランド10周」をやめて、「~していただけたら嬉しいんですが」となりました。これには生徒もびっくり仰天で、しかも、この言い方のほうが、生徒がよく聞いてくれるそうです。目から鱗とはこのことです。ずっとあとになって、これは誤用だと知りましたが、この時点では許されるでしょう。これ以後は、校内で、私と児玉先生と2人のまわりにほのかな幸せの灯りが灯りました。
明けて1992年には、3月に東京で、カウンセリングアカデミー特別研修がありました。この時期は、まだ東京の「日本カウンセリング・アカデミー」でも学んでいました。今回の特別研修のテーマは、「統合的・開発的カウンセリング」です。國分先生も、ただ話を聞くだけのカウンセリングでは限界があると指摘されて、積極的に問題解決するカウンセリングを主張されていました。アドラー心理学はそもそも解決構成ですから、この趣旨にはすんなり賛同できました。
講座を終えて岡山に帰ると、翌日から今度はアドラーで、古田富子先生による『APPLE(子どもの社会性訓練プログラム)』のリーダー養成講座を受講します。もちろん児玉先生と一緒です。3日連続のワークです。参加者は全員子どもに返ったつもりで実習します。これには2人とも有頂天です。児玉先生も私も「交流分析」ふうに言えば、P・A・Cの「C」を出すのが得意ですから、すっかり子どもになりきっています。3日間たっぷり楽しんで、アドラー心理学関係のリーダー資格を1つ獲得しました。
『APPLE』の作者は野田先生ですが、販売権は東京のヒューマンギルドにあります(SMILEもそう)。その後、ヒューマンギルドとアドラーギルドが絶縁して、西日本では開催されなくなりましたが、良くできたプログラムでした。ただ、教材テープのロールプレイをプロの声優さんがやっているため、作者の意図が正しく表現されていない部分がありました。野田先生もたびたびそれを指摘されていましたが、その後改訂されることもなく、現在は途絶えています。プログラムに出てくるテレビ番組では、“とんねるず”が活躍していたり、「夕焼けにゃんにゃん」が大人気だった時代ですから、そのままでは今は使いにくいです。
これを授業の一部に多少アレンジして取り入れたところ、大好評でした。欠席した生徒に補習をしても、まったくイヤがらず受けてくれました。「上手な頼み方・断り方」とか「誰の課題か」というところが特に気に入ったようです。著作権の関係でさすがに全部はやれないので、サワリだけにしました。これも、生徒との信頼関係構築に役立ったことは言うまでもありません。
校内にアドラー心理学を学び実践する人が私と児玉先生の2人になりました。蓮昌寺でのオープンカウンセリングの休憩のとき、児玉先生が野田先生に、「まだまだです。仲間が2人しかいないんですが」と言うと、先生は「2人もいるじゃないですか」と返されました。このエピソードは今でも語り継いでいます。
1992年度は、教育センターの相談員が1年延長となり、2年目を迎えます。例外的な措置だったようです。このころは、授業はずいぶんやりやすくなっていました。怒らないでこちらの思いを伝える技術をたくさん工夫して、年中穏やかな態度で生徒と接することができるようになりました。が、油断するとボロが出ました。あるクラスの学年末の感想に、「あの先生の穏やかさにはウラがある」と書かれたりしました。やっぱり、生徒の眼は鋭い(笑)。
ある3年生の授業でのこと。4月には穏やかにスタートしましたが、5月の連休明けのころ、同じことを何度もしつこく質問してくる男子生徒にキレました。「うるせー!!!同じことを何べんも言わせるんじゃねえ!!!!」と怒鳴ってしまいました。クラスはシーンと静まりかえりましたが、これで元も子もなし。メッキが剥がれて、それ以後元に戻すのにいかに苦労したことか。そのクラスはその年度中、気まずい空気が残りました。今思えば、これが「注目関心を引く」段階から「権力争い」の段階への移行で、私は「権力争い」に勝ってしまったのです。自慢はできません(笑)。それで猛反省して、翌年からはこんなことはまったくなくなりました。