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自叙伝05-09
【忘年会寸劇と文化祭職員劇】
落語「七段目」は昔、雷門助六で、最近では春風亭小朝で聞きました。小朝師匠は、名古屋の御園座でお父さんの十七世・勘三郎と共演している中村勘九郎(十八世勘三郎)を楽屋にたずねて教わったと、落語の頭で語っています。勘三郎さんが息子の芸を鍛えるために、舞台の上で、わざと恥をかかせるんだそうです。「髪結新三」というお芝居で、新三が勘三郎、その弟子が勘九郎です。新三の家の庭に植木が並べてあります。勘三郎さんは、いきなりアドリブで。「おー、この植木、どこで買った?」と来る。勘九郎さんは台本に書いてないから、「……」と舌が吊って何も言えない。まさか「日比谷花壇で」とも言えないし。悔しいから、歌舞伎界の生き字引の市村羽左衛門さんの所へ相談に行った。「それなら八幡様で買ったと言えばいい。八幡様はどこにでもあるから」と教えてもらって、翌日、自信満々でいると、案の定、「おー、この植木どこで買った?」、自信たっぷりに「八幡様で」と即答したら、「いくらでー?」と来られてまた舌が吊ったという。その勘九郎さん(十八世勘三郎)も、2012年12月に57歳の若さで他界されました。エネルギッシュな舞台姿を今もありありと思い出します。「夏祭浪花鑑」「東海道四谷怪談」「怪談乳房榎」などです。
さて、芝居好きの若旦那は、今日も芝居見物から帰ったところを親旦那に叱られ、番頭さんに伴われてて2階へ追いやられます。「ねえ番頭さん、この梯(はしご)段を見ると思い出すねえ」「何をでございますか?」「思い出すだろう、ほら、八百屋お七。この太鼓を打つときは街々の木戸も開いて、あ、打てば打たるる櫓の太鼓、ああ、トチチリトチチリ……」「若旦那、いけませんよ。聞こえたら大旦那様に叱られますよ。若旦那様、これ、ワカダンナサマー!」。番頭さんまで芝居を始める。1人2階へ上がっても、頭の中は芝居のことばかり。さっき観てきた忠臣蔵の再現をする。夢中で立ち回りをやるので、ドタンバタンと大きな音が出る。大旦那に聞こえて、「おーい、定吉(丁稚)、2階がうるさいからあいつを黙らせてこい」。定吉「はっと答えて丁稚の定吉、あ、帯引き締めて…」。親旦那「化け物屋敷だね。この家にまともな者はいないのか」。定吉「若旦那、下で親旦那様がうるさいと言ってますよ。あれあれ、若旦那ったらお芝居に夢中になって聞こえないや。ようし、向こうがお芝居なら、こっちもお芝居で。(と、声色を変えて)……何やら家内に取り込みごとのある様子」。これを聞いた若旦那は喜んで、渡りに舟と、「いいや、ずんと些細な内証ごと。いざまず奥へ」「しからば…」。「うまいね、定吉。一緒にやろう。お前もお芝居好きなのか」「あたい、お芝居大好きです。3度のご飯を4度いただいても好きです」「欲張りだねえ。まあいいや。どこをやろうか。2人でやるなら七段目にしよう」「でも若旦那、あそこは大勢出てきますよ」「でもほら、お軽と平右衛門が出るところ。あそこだと2人でできるよ」「でも若旦那、刀がいりますよ」「これをご覧。ここに親父の葬式差しがある」「それはいけませんよ、若旦那」「どうして?」「だって、若旦那は本気になったら刀を抜きますから、斬られたらあたいは死にますよ」「斬りゃしないよ。ちょいとしか」「ちょいとでもイヤです」「そんならこうして、鞘を紐で結んでおけばよかろう。で、どこからやろうか。ちょうどお隣のお師匠さんが三味線のお稽古を始めたよ。あれに乗ってやろう」「あたいの役は?」「お前はお軽をやれ。私は平右衛門だ」「だってあたいはこんな坊主頭ですよ」「お前はいいところに気がつくねえ。お芝居好きはそうこなくっちゃねえ。ここに手拭いがあるから、これで頬かむりをすれば、…ちょっと気味が悪いけど、いいお軽だよ。じゃあいいかい。……そんならその文(ふみ)残らず読んだか」「あい。残らず読んだそのあとで、互いに見交わす顔と顔…」と、あとはお芝居どおりに運んで、「軽、そちの命はもらった」と若旦那は刀の鞘に手をかける。「あ、抜いちゃいけませんよ、若旦那」。鞘の紐が切れて刀が抜ける。「あああ、ほんとに抜いちゃった。いけません、いけません……」。ゴロゴロ、バターーン。下で親旦那が「何だい今の物音は?」。番頭が「真っ赤なものが上から落ちてきましたよ」。親旦那が駆け寄る。「何だ、定吉じゃないか。おい定吉、しっかりしろ!」「私には勘平さんという夫のある身」「小僧に夫があってたまるか」「お前、てっぺんから落ちたか?」「いいえ、七段目で」。
この落語を寸劇にしました。私は刀の振り方を全然知らなかったのですが、細川先生がお芝居用の本物みたいな刀をどっかから持ってきて、懇切丁寧に振り方を指導してくださいました。忘年会の会場はメルパルクで、結婚披露宴でよく使われる小ステージで演じました。私は家から愛用の着物を持参していて、自分たちの出番が来る前に、ロビーで着替えておきました。他の方々の出し物は、歌ばかりでしたから、寸劇は結構好評だったようです。これを、当時、職員劇の演出をしていた中原先生がご覧になって、たぶん私の演技力を認めてくださったのでしょう。翌90年度の文化祭の職員劇では、私が主役に抜擢されました。演目は『嬰児殺し』という凄まじい題のお芝居です。私は明治時代の警官の役で、貧乏ゆえに嬰児を捨てた女土方を捕まえて取り調べをするうち、その悲しいストーリーに次第に共感していきますが、嬰児を捨てるに至った事情を理解しながらも、最後は法に従って本署へ連行していく警官を、人情味豊かに演じました。手前ミソながら、このお芝居も大好評で、学校新聞に写真入りで大きく載りました。相手役の女土方役には教務課事務員の山中○○子さんが務められました。また共演したかったのですが、彼女は翌年には退職され、実現しませんでした。そういえば、私は高校の演劇部では1年のとき準主役を演じています。『盆栽先生』というお芝居で、私は、定年退職後卒業生が出世するたびに盆栽を1つずつ増やしていく元教師の息子で、高校生でした。このときは同年代の少年ですから、地(じ)でやれました。ガールフレンド役は演劇部員でなくて、JRCからお招きした1年先輩の氏平○○子さんでした。相性ぴったりでした。父親に彼女との交際がバレて、問い詰められ、白状するところが1つのヤマ場です。「あの子と一体どういう関係だ」と責められて、「初恋です」と言うのが何か気恥ずかしくて、何回もNGを出しました。
写真:1957(昭和32)年、操山高校文化祭・演劇部公演「盆栽先生」
最前列のお1人=顧問の坂戸先生
前列:左から、山県明弘氏(大学卒業後RSKアナウンサーに)、大森、氏平先輩、松田喜美子さん、忘却、赤木睦世さん、高田さん
2列目:赤ちゃんを抱いているのは杉本みどりさん、小山秀子先輩、忘却、富田先輩、岡君、西原先輩?、忘却
最後列:末安哲先輩、合田先輩、犬飼君、渡辺先輩、忘却、坂本先輩
今回の『嬰児殺し』では、女土方を問い詰めて、「きさま、子を殺したな!」と言うところが難しくて、何度もやり直しました。それでもお稽古を積んで、ついに本番の舞台では、鬼気迫る演技ができたように思います。彼女を舞台の下手から中央まで引きずって、「きさま、子を、殺したなー!」と、問い詰めます。このお芝居では、細川先生は、前半で家の外を「屑いー、お払い-」と声を立てて歩く屑拾い役でした。ちょうど出すものがあって、家に呼び入れ、ひととき世間話をするシーンがあり、演出の中原先生から、「ゴールデンコンビ」の揃う唯一の場面と評されました。
写真:「嬰児殺し」、左から女土方役山中さん、警官役の大森
※警官役は高校でも体験しました。そのときのスナップ
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写真:「嬰児殺し」記念写真
前列:演劇部スタッフ、山中さん、娘役の父尾さん、演出の中原先生
後列:舞台監督&照明の石原先生、細川先生、鳴坂先生、村の娘役○○さん、舞台係の今井先生、同○○先生、舞台係の藤井利昭先生、警官役の大森
翌年(1991年)は岡工創立90周年で、初日の記念演劇鑑賞会に続いて2日目の学校での一般公開日には、職員による記念劇「戸立て祭考(原題は“みみずと百姓”)」という時代劇が上演されました。私はまた準主役をいただきました。和泉国の百姓一揆を指導する26歳の若者の役です。このときは大塚校長・杉田教頭までお役人の役で出演するという豪華版でした。一揆に参加した仲間(英語の石原先生)が役人に捕まって、それを助け出そうと作戦を立てるのですが、仲間が次々とお上の圧迫に屈して、いざ決行というときにどの家も戸を立てて籠もってしまいます。ついに友だちは刑場に引かれて磔になる。ラストシーンは庄屋さん(電気科の中桐先生)とともに刑死した友を偲ぶシーンでした。そのとき、舞台正面の私を良く照らすようにと、演劇部顧問の石原先生がピンライトを1つ増やしくれました。ところが本番では、お庄屋役の中桐先生がほぼ舞台中央に立っていて、それではお庄屋にスポットがまとも当たってしまうので、困った私は、「ええい、かまうものか」とばかりに、グググーッっと真ん中の中桐先生のすぶそばへ詰め寄りました。中桐先生は不思議そうな顔をされていましたが、あとで事情を話すと大笑いでした。そして、友だちを失った悔しさを鎌を片手で振り上げて絶叫するところで、チョーンと幕になります。
写真:左から、庄屋役の中桐先生、百姓役の大森、右端は百姓仲間役の藤井利昭先生
写真:カーテンコール
左から大塚校長、…、杉田教頭、…、…、中原先生、細川先生、大森、…、中桐先生、…、関野さん、藤井利昭先生、金田先生