自叙伝05-08

【歌舞伎・仮名手本忠臣蔵「七段目」】
 「七段目」;舞台は変わって、京の祇園町・一力茶屋。ご家老・大星由良之助は敵の目をくらますために、毎夜、遊郭で遊興三昧です。今日は目隠しして、遊女、仲居、若い衆を追いかけています。みんな「鬼さんこちら、手の鳴るほうへ」とはやし立てながら、由良之助から逃げ回る。そこへ3人の塩冶浪士とお軽の兄で足軽の寺岡平右衛門が、ご家老の本心を確かめるためにやって来ます。由良之助は目隠ししたまま、浪士を捕まえる。「とらまえた、とらまえた」と目隠しを外す。浪士は無気になって、由良之助に迫るが、とりあわず、ほろ酔いの千鳥足で仲居や若い衆と戯れ、あげくの果てには座敷で眠りこけてしまう。愛想を尽かした浪士たちが刀に手をかけ、寝ているご家老に斬りかかろうとするのを、平右衛門が必死に止める。平右衛門は出張先で主君のご最期とお家断絶を知り、急いで戻ったのだった。平右衛門は、「身分は低くても忠義に変わりはない。是非とも仇討ちの仲間に入れてほしい」と大声で懇願すると、ご家老様は「シーッ。そんな大声を出すでない。お手前は足軽でなく口軽じゃ。敵討ち?そんな危ないことをする気はない」と、顔に扇をかけてまたもや寝入ってしまう。浪士はまた刀に手をかける。「ご家老様も酒でも呑まねばやりきれますまい。呑んだ酒なら酔わねばならぬ。酔った酒なら醒めるが道理。醒めての上のご分別」とまたたしなめる。あきれて立ち去る浪士たち。平右衛門は、ご家老にそっと布団を掛け、仲間入りの願書を枕元へ置いて、その場を去ろうとする。ご家老は扇でそれを払いのける。もとへ戻す平右衛門。また払う。諦めてその場を去る平右衛門。
 一時無人になる舞台。ややあって、庭へ忍び来る若者あり。ご家老の嫡男・大星力弥。奥方・あぐり様からの密書を届けに来た。花道の七三で、刀の鞘をパチンと鳴らして合図する。スックと起き上がる由良之助。周囲を十分うかがって、人気のないことを確認して、密書を受け取る。力弥が「仇のありかを示した密書…」と言おうとすると、慌てて「そのとき義経少しも騒がず…」と、謡曲「船弁慶」の一節を口ずさんでごまかす。小声で、「夜のうちに駕籠を迎えによこすように」、さらに「街中では急ぐな。祇園町を離れてから急げよ」とたしなめて、その場を去らせる。
 密書の中身が気になるので、人目を避けて封を切ろうとするところへ、もと家老の1人で今は敵の高家に取り入っている斧九太夫が入ってくる。勘平に鉄砲で撃たれた定九郎の父親である。その九太夫が、「由良之助に仇討ちする気があるのかないのか」と探りに来た。ご家老はサラリとかわして、仲居を呼んでお膳を運ばせ、やんやの酒盛りを始める。明日は月は違えど亡君のご命日です。九太夫はわざとナマ臭い蛸の酢の物を勧めます。ご家老は、迷わずパクリと口に入れる。驚いて、「明日は亡君のご命日ですぞ」。由良之助「はて、ご主君が蛸にでもなりましたか。いやいや、今度は鶏でも絞めようか」と豪語して、一同を伴って奥へ入る。残った九太夫と高家の家臣・鷺坂判内は、由良之助が座敷に残した刀を抜こうとするが、なかなか抜けない。2人で必死に力を込めて引っ張ると、何と中は真っ赤に錆びた赤イワシ。「これなら仇討ちもなるまい」と安心する。が、九太夫は、「どうも先ほど届いた密書が気になる」と、判内を去らせて、迎えの駕籠に入ると見せて、スルリと駕籠を抜けて縁の下へもぐり込む。
 由良之助が座敷に戻ってくる。まず刀を調べると抜いた形跡がある。このさび具合を見て九太夫は安心して帰ったものと思い、縁先の釣り灯籠の灯りを大きくして密書を読み始める。
 (義太夫が「はや、廓(さと)慣れて吹く風に……勘平が女房お軽は~~~」)隣の2階の窓が開くと、今はすっかり郭づとめに慣れたお軽が団扇で扇ぎながら、酔いを醒ましている。由良之助が何やら読んでいる。「浮様(ご家老は廓で“浮大尽”と呼ばれている)は恋文でも読んでいるのかしら」と、手鏡を差し伸べて盗み見する。身を乗り出したはずみに、簪(かんざし)を落とす。パランという音に、由良之助は慌てて書状を引っ込める。先がちぎれている。「うおっ!」。縁の下にも誰かいる。上にはお軽が伸べ鏡。縁の下には斧九太夫。
 ゆっくり2階を見上げて、「おお、軽か。そなたそこで何をしていた」。「あい、あんまり飲まされてここで酔いを醒ましていたわいな」。「そなた何ぞ見やったか」。「何やら愛しいお人の文のよう」……。由良之助は、「軽、そこ動くなよ」と、庭へ降りて、縁の下にも気を配りながら、梯子をかけて2階からお軽に降りるよう促す。おそるおそる梯子を下りるお軽に、「気をつけよ。船霊様がちらりちらり」。お軽「てんごを言うとわしゃ、おりぬわいな」と言いながらも、やっと地面に降りる。由良之助「そなたに惚れた。身請けしたい。もうこの年じゃ。3日も添い遂げてくれればあとは勝手次第。店が持ちたきゃ持たせてやろう。暇が欲しけりゃ暇やろう」と、お軽にはありがたすぎる身請けの相談。「奥で手続きをする間、わしが戻るまで決してここを動くでないぞ」と言い残して引っ込む。あまりの嬉しさに、早速、いとしい夫・勘平宛てに手紙を書き始める。
 平右衛門が妹に会おうと入ってくる。「もうし、もうし…」としきりにたずねる平右衛門。お軽は、気が散っておちおち手紙が書けない。「ええい、うるさくて文(ふみ)を書けぬわいなあ」と表に出てびっくり。「やや、お前はあにさん」「妹、お軽」。2人は喜び抱き合うが、お軽が一番に聞きたいのは勘平の様子。「あにさん、あの、か、かん…」。何やら恥ずかしくて言い出せない。「うん?」「かかか……、かかさんは達者かえ?」「おお、かかさんは達者だ」「そんならあの、かかか……、ととさんは?」「ととさんも達者だ」(これは嘘)。「ええもうじれったい。か、勘平さんは達者かえ?」「勘平も達者だ」。「あにさん、喜んでくださんせ。わたしゃ今宵身請けされるわいな」「どなた様に?」「お前も知ってのおかしら大星由良之助様」「以前からのおなじみか?」「何をいの。2,3度酒の席に出たばかり」「そちを寛平の女房とご存じか?」「何じゃいなあ。身内の恥になることを、なんで明かしてよいものか」「うーん。なじみでない、勘平の女房と知ってのことでもない。……、もやはご家老様には仇討ちのお心はないに定まったか」「あにさん、あるぞえ、あるぞえ」「あるとは何が」「高こうは言われぬ。耳を」「……じゃわいな」「そんならその文、残らず読んだか」「あい。残らず読んだそのあとで互いに見交わす顔と顔。それから、あ、じゃら、じゃら、じゃら……じゃら突き出して身請けの相談」「何?残らず読んだそのあとで、互いに見交わす顔と顔。それから、あ、じゃら、あ、じゃら、じゃら突き出して身請けの相談?」「あい」「読めたーーー!!!」「あにさん、びっくりするわいな」。「ご家老様、最前よりの悪口雑言、そのお心とも知らず、よくもまあこの口が裂けなかったものだ。なあに、ご家老様のお手をわずらわせることはございません。……(お軽を向いて)お軽、久しぶりに会うた兄からそちに頼みがあるが、何と聞いてはくれまいか」「あにさんのお頼みとはえ」「その頼みとはな…」「お頼みとはえ」「妹、そちの命はもらった」。いきなり斬りかかる平衛門。懐の懐紙をパッと投げてあとずさりするお軽。「私には勘平さんという夫のある身。お前の自由にゃならぬぞえ」「これは、いきなり斬りつけた兄が悪かった。こっちへ来い」。刀を振って招くが、お軽は恐くて近寄れない。そーっと刀に近づき、刀を預かって、ずっと遠い所へ置いて、改めて、「あにさん、来たわいな」「軽、お前は何にも知らないが、お前の大事なおとっつぁんは盗賊に斬られてお果てなされたわい」「ひえーーー」「こんなにびっくりして……。こりゃまだほんの序の口だ。まだでっかいのが待っている。お前が恋しい恋しいと思っている勘平はな」「勘平さんはへ?」「勘平はな、友朋輩への言い分けに腹を切って死んだわ」「うーむむむ……」。持病のシャクを起こして反り返るお軽。「反るな」と、お軽の腹を紐でぐっと縛って、慌てて手水鉢の水を手にもり、お軽に飲ませる平右衛門。気づいたお軽に、「ご家老様が急に身請けすると持ちかけたのは、大事な密書を読まれたゆえ。ここで殺すわけにもいかず、いったん身請けしてそれから殺すために相違ない。どうせご家老様の手にかかって死ぬなら、いっそこの兄が……」と訴えると、「おとっつぁんも勘平さんもいないこの世に未練はありんせん。あにさんの手で殺してくださんせ」と合掌するお軽。刀を振り上げる。そのとき「待て。そのほうたちの心底(しんてい)見えた」と、由良之助。平右衛門の刀をつかんで、そのまま縁の下へ突進、ひと突き。瀕死のていの九太夫。「これを手柄にそちを仲間に加ゆるぞや」。ご家老を迎えに来た駕籠に九太夫の死体を乗せ、平右衛門に担がせる。「鴨川の水雑炊をたっぷり食わせてやれ」。(幕)