自叙伝05-07

【岡工の芝居好き2】
 続いて、その年(1989年)の忘年会の余興で、細川先生と寸劇をすることになりました。演目は、落語『七段目』を劇にしたものです。春風亭小朝の「七段目」を参考にして、私がシナリオを書きました。配役は、細川先生が劇中劇シーンで“お軽”をやる丁稚役、私が“寺岡平右衛門”をやる若旦那の役でした。劇中で私が刀を振り回す場面があり、そこは芝居通の細川先生が演劇用小道具の刀をどこからか持って来られて、きちんと歌舞伎の型どおりの振り方を指南してくださいました。
 落語『七段目』は、歌舞伎『仮名手本(かなでほん)忠臣蔵』全十二段の「七段目」がもとになっています。忠臣蔵は『仮名手本忠臣蔵』の他にも、真山青果作『元禄忠臣蔵』など実録ものが有名ですが、それらには「お軽寛平」の話は出てきません。赤穂浪士に萱野三平という人はいたようで、この人の名前を借りて、「早野勘平」ができました。お軽という名前は祇園の遊郭の太夫に使える女中さんとして登場したりしますが、『仮名手本』のような主役級ではありません。この『仮名手本』では、徳川幕府に遠慮して、登場人物は実名を使わず、時代設定を変えて「太平記」から拝借しているものがあるようです。例えば、浅野内匠頭(たくみのかみ)は塩冶判官(えんやはんがん)で、奥方・あぐりは顔世(かおよ)御前。国家老・大石内蔵助は大星由良之助、大石主税(ちから)は大星力弥、吉良上野介は高師直(こうのもろなお)。内蔵助の妻・おりくはお石。神崎与五郎は千崎弥五郎。寺坂吉右衛門は寺岡平右衛門等々。
 『仮名手本忠臣蔵』では、赤穂浪士(お芝居では塩冶浪士)の仇討ちを縦糸に、判官側近の早野勘平と腰元お軽の悲恋を横糸にストーリーが展開していきます。判官が殿中で高師直に刃傷のとき、側近の勘平とその恋人お軽は近くの茶店でデートをしていました。この事件で判官は間もなく切腹し、お家は断絶。勘平はその責任を重さに切腹しようとしますが、お軽が必死に止めて、自分の故郷・京都山崎へ落ち延びることになります。この道行きは「四段目」に清元の舞踊で演じます。とても美しい舞踊で、「みどり形式」の歌舞伎公演によく加えられます。
 「五段目」;京都山崎のお軽の実家で寛平は猟師となり、お軽の父・与一兵衛と母・おかやに助けられ、夫婦むつまじく暮らしています。そういう折、たまたま塩冶の浪士と出会った勘平は、お金を工面して軍資金としてご家老・大星由良之助に献上することで、仇討ちの仲間入りできるかもしれないと知らされます。それと知った与一兵衛は、娘お軽を京の祇園町へ遊女として売り、その金で勘平を助けようとします。祇園町から前金の50両を受け取った帰り道、もとは塩冶の家老の1人だった斧九太夫の息子で、今は山賊をしている定九郎に襲われます。稲叢の前に座って一服する与一兵衛は、財布から小判を取り出して「早く婿殿を喜ばそう」と合掌しているところを、定九郎が刀でひと突き、財布を奪います。中身を取り出してニンマリと「五十両ーーー」。そこへ猪を追ってきた勘平が、ズドーンと一発放つと、それが定九郎に命中。その場に倒れる定九郎。暗がりを駆け寄る寬平。「確かに手応え」。倒れた定九郎に躓いて、様子を探るが、猪ではなくてどうやら人らしい。「しまった。猪にはあらで人でありしかー」。薬でもないかと懐中を探る。手に当たったのはズシッと小判の入った財布。「うーん、これさえあれば仇討ちのお仲間に…、いやいや道ならぬことをすべきでない」。しばらく迷うが、結局、「天の助け」とばかりに財布の紐を切り取って、まっしぐらに浪士の泊まっている宿へ向かい、金を渡して仲間入りを懇願します。
 「六段目」;お軽の家には祇園町の一文字屋から女将と若い衆が、お軽を迎えに駕籠を伴って来ている。「昨夜、与一兵衛に前金50両を渡したから」と、後金50両と引き替えにお軽を連れて行こうとする。おかやは「それでも、与一兵衛殿がまだ帰らぬから」とためらう。乱暴に談判しようとする若い衆を女将がたしなめて、丁寧に説明すると、渋々納得するおかや。お軽がいよいよ駕籠に乗せられて家を出かけるところへ、勘平が帰ってくる。「狩人の女房に駕籠もあるまい」と、お軽を降ろして家に入り、寬平は着替える。そのとき懐から財布が落ちたのを、おかやがチラッと見た。あわてて隠す寬平。寬平にはお軽が売られていくいきさつがわからない。おかやと女将から事情を聞く。女将は「昨夜、与一兵衛殿に、自分の着物の端切れで作った縞の財布に50両を入れて渡した」と言う。証文もちゃんとある。勘平はギクッとする。「あの財布だ。さては、自分が撃ったのは舅だったのか」。そうなるとお軽を祇園町へやらないわけにはいかない。苦し紛れに「おやじ殿には今朝会った」と言う。後ろ髪を引かれる思いで駕籠に乗るお軽。不安そうに見送るおかや。
 お軽を見送ったあと、おかやは勘平に詰め寄って、「婿殿、与一兵衛殿にどこで会った?」。勘平がうろたえているところへ、村人たちが「えらいこっちゃ」と、筵にくるまれた与一兵衛の死体を運び込む。寬平はもはや絶体絶命。おかやは泣き崩れるが、立ち上がるやいなや、勘平の懐から財布を引っ張り出す。血がベットリついている。「さてはお前が与一兵衛殿を殺したのか。この人でなしめが!娘を祇園町へ売ってまでこしらえた金は一体誰にやる金じゃーーー」と勘平にすがりつく。どうしようもなく崩れる勘平。
 この修羅場へ浪士2人がやって来て、「何やら家内に取り込みごとのある様子」。勘平は「いや、ずんと些細な内証ごと。いざまず奥へ」と招き入れる。2人は、今朝宿で渡された金を差し出して、「ご家老様からの返してこいとの仰せにより持参いたした」。それを聞いたおかやは、「おふたり様聞いてくだされ。舅を殺して手に入れた金じゃもの。なんでご用に立つものか」と寛平を責め立てる。2人の侍は、中国の故事を引いて、「『渇しても盗泉の水を飲まず』とは義者のいましめ。これさ勘平。おぬしは一体どうしたのだ。舅を殺して盗んだ金で忠義が成るか。仲間入りなどは笑止の沙汰」と、引き返そうとする。寛平は「ご両者お待ちくだされ」と引き留めて、これまでのいきさつを必死に話す。昨夜猪を追って二つ玉の鉄砲を放つと命中。猪を探して近寄ると、「猪にはあらで人。薬はなきかと懐中を探れば当たる皮財布。道ならぬこととはしりながら、これぞ天の与えし金ならずや。急ぎ御両所様にお届け申した。が、情けなや、様子を聞けば、金は女房を売った金、打ち止めたるは」。浪士「打ち止めたるは?」。寛平「打ち止めたるは舅殿」と、自分の腹へ刀をぐっと突っ込む。一同びっくり仰天。寛平の名台詞「いかなればこそ寛平は、早野三左右衛門が嫡子と生まれ、十五のときよりご近習務め、百五十石頂戴が、代々塩冶のご扶持を受け、束の間孝を忘れぬが、色にふけったばっかりに」と血のついた手のひらを顔に当てて、「大事の場所にもありあわさず、その天罰に心砕き、御仇討ちの連判に加わりたさに調達の、金もかえって石瓦、交喙の端(いすかのはし)と食い違い、言い訳なさに寛平が、切腹なしてあい果つる、心のうちの苦しさを、ご両所、ご推量くだされいー」。2人の浪士は死体を改める。「うん??これ見られよ。鉄砲傷には似たれども、まさしく刀でえぐりし傷。村はずれに山賊になりはてた斧定九郎の死体があったが、あれは鉄砲傷だった。寛平、早まりし!」。寛平「疑いは晴れもうしたかーーー」。「これにてお主も同士」と、2人は連判状を出して勘平に血判を押させる。勘平は血だらけの手で連判状に血判を押して、合掌する。一度に夫と娘と娘婿を亡くしたおかやはただうろたえるばかり。「年寄りの愚痴な心から大事な婿殿を死なせてしまった。どうぞ堪忍してくだされや」。チョンと木が入って、六段目の幕です。だんだ本気になってきました。細川先生がご存命ならきっと喜ばれます。(つづく)