自叙伝05-06

【岡工の芝居好き2人・細川&大森(1)】
 1991年は岡山工業高校創立90周年記念の年です。11月の文化祭初日に、記念式典と演劇鑑賞が岡山市民会館で催されました。演劇は前進座の「山椒大夫」です。私よりもっともっと芝居好きの同僚・細川公之先生と私は、開幕前に観客の全生徒に鑑賞マナーを説明するお役をいただきました。2人で相談した結果、ただの解説では本気で聴いてもらえそうにないので、思い切って寸劇をやることになりました。細川先生は国語の先生でしたが、彼をさしおいて私が台本を書きました。開幕直前まで2人で練習に練習を重ねて、本番に臨みました。私が下手(しもて)から、細川先生が上手(かみて)から登場して、舞台中央で出会います。私「あー、細川先生じゃありませんか。どちらへいらっしゃるんですか?」。細川「何言ってるんですか。これから市民会館で前進座のお芝居を観るんじゃありませんか」。私「お芝居って、何か堅苦しそうですね。映画のほうが気楽じゃないですか?」。細川「そんなことはないですよ。ちょっとした心がけで、テレビや映画と違う醍醐味が味わえますよ。何しろ画像と違って、演者と観客が同じ空間にいるんです。観客も一方的にただ観るんじゃないんです。お芝居というのは、実は、舞台の役者さんと観客と両方で舞台を作り上げるんですよ」。私「そうなんですか。じゃあ、観客にも責任があって、隣の人とおしゃべりしたり物音を立てたりしたらいけないですね。雰囲気を壊しますから」。細川「良いことに気づかれましたね。それはそうですが、でも、役者さんの熱演には惜しみなく拍手してあげましょう。歌舞伎と違って、『成田屋ー!』って声を出したりしないほうがいいですがね(笑)」。私「そうですか。何だかワクワクしてきました。ところで細川先生ー、何か薄暗くなってきましたよ。人買いでも出そうです。恐いから急いで行きましょう」と、2人が下手に引っ込むと同時に、第一幕が開きす。観客一同は、すんなりとお芝居の流れに入っていけたようです。このときの様子を、あとで俳句に詠みました。
♪ 菊の香や一期一会の晴れ舞台♪(夢遊=私の俳号)
 翌日・文化祭2日目には、学校の体育館で職員有志による演劇がありました。職員劇は数年前から行われていて、これまで私はお呼びではありませんでしたが、この年は主役に抜擢されました。それには理由があります。時間を少し戻してそのいきさつをお話しします。
 私と同じ教科担当の中原素樹先生は俳句がお得意で、職場に職員の俳句同好会を作られました。毎月、文化人を気取るメンバー数人が投句した作品に、めいめいがお気に入りの一票を投じて、得票数に応じて「天・地・人」の評定が与えられます。私も当然、自称文化人ですから、参加していました。
 また、この学校には性教育委員会が設けられていて、当時は細川先生がリーダーとして活躍されていました。私は、自分の教科(社会科)代表で所属していました。メンバーの中には、やがてアドラーの仲間になる児玉雅弥先生もいらっしゃいました。その児玉先生も細川先生も「人間と性教育協議会(性教協)」という組織の会員です。この組織では、とかく、“おしべとめしべ”や性感染症予防の話になりがちな性教育を、そうではなくて、ヒトとヒトの性行動をきちんと教える性教育の実践を目ざしていました。私はこの世界ではほんの素人でしたが、彼らの発案で、1989年に広島の著名な産婦人科医・河野美代子先生をお招きして「性教育講演会」を実施しました。河野美代子先生は、広島生まれで、1972年に広島大学医学部を卒業され、特定医療法人あかね会土谷総合病院を経て、1990年に河野産婦人科クリニックを開業されました。「性教協」にも所属され、全国の学校での講演活動の他、『さらば、悲しみの性』(高文研)などの著書を出されて、大活躍の“売れっ子・美人医師”でした。11月でそろそろ寒さを感じる体育館のステージはとても冷えていて、河野先生の足下がブルブル震えているようでした。大急ぎで、細川先生たちと電気ストーブを運び込んで、先生の足下に置きました。先生のお話の中心は、安易なセックスで人工妊娠中絶をせざるをえなくなった少女たちをいかにして救ったかということでした。今でも強烈に思い出す言葉がいくつかあります。「女は自分の体を大切にせよ。自分の体に責任を持て。男は彼女の体を大切にせよ。彼女の体に責任を持て」。1000人を超える聴衆は、しーんと静まり返って、先生のお話に聞き入りました。
 私には講演後の「謝辞」を述べる役が来ました。自分で言うのも何ですが、これが結構好評だったようです。高校時代の演劇部体験が生かされたのか、シャイなわりには人前で話すことことに抵抗がありませんでした。ステージ下から先生を見上げながら、さきほどの1節を引用して、お礼の言葉を述べました。退場されるとき先生が、私をしっかり振り向かれたのを覚えています。
  『さらば、悲しみの性』からほんの1部を引用します。
 先日、十八歳の女性が強い腹痛でやってきました。なんと彼女は、十六歳から十八歳にかけての1年半の間に六回もの人工中絶を受けていたのです。そしてとうとう、先日の六回目の手術で、腹膜炎になって、猛烈な腹痛で七転八倒しながら、私の病院にはこびこまれてきたのです。
 相手は、六回とも同じ一人の男性です。三十代の、妻子のある男性。私はたずねました。
「六回も手術をして、そのたびにいやだって思わなかったの?」。すると、「いやでした」といいます。
 ところが、こんな苦しみをなめながら、そして性交をするのも「いやでした」といいながら、実は彼女は、まだ相手の男性のことを嫌いになっていないのです。私は、彼女がかわいいそうになるのと同時に、相手の男性にハラが起ってしかたありませんでした。自分の家庭はきちんと守りながら、十代の彼女に六回も中絶をさせているのです。
 こんな苦しい目にあわせられながら、どうして彼女はまだ相手の男性にひかれているのか─。私は問いました。すると彼女は、こう答えたのです。
「やさしいから」
 それを聞いて私は、「冗談じゃないよ」といいました。
「なにがやさしいからよ!」
 もし相手がほんとにやさしい男性だったら、彼女に六回も中絶させるようなことをするはずがありません。かりに一回でも妊娠して中絶したあとは、二度と彼女をそんなかわいそうな目にあわせないために、何らかの方法をとるはずです。ところが、この男は、避妊もせずに彼女に性交をせまって、できてはおろし、できてはおろし、ついに腹膜炎で彼女に地獄の苦しみを味わわせているのです。こんな男を、どうしてやさしいといえるでしょう。ところが彼女は、まだ相手を「やさしい」といい、その「やさしさ」にひかれている。
 だから、私はいいました。
「あなたから切りなさい!あなたのほうから別れなさい!ほんとにやさしい男性なら、あなたをこんなかわいそうな目にあわせやしないんだから」
 ところが、悲しいことに、彼にたいして彼女はウラミをもとうとはしないのです。自分さえ我慢すれば、と思っている。そうして、苦しみを自分だけでかかえこんで、ズルズルと悲惨な関係をつづけていく。
 よく週刊誌などに性が遊びになっていると書かれています。しかし、私の前にあらわれる女性たち、涙を流しながら人工中絶を受ける女性たちのほとんどは、けっして“遊びとしての性”の結果そうなったんじゃない。彼女たちなりに、“真剣な”恋愛の結果、そうなったんです。だから、涙を流す。彼女にしても、そうでした。いってみれば、“愛ある性”の結果、妊娠したのです。
 にもかかわらず、その“愛”のために、どうしてこんなに悲しい目にあわなくてはいけないんだろう。どうしてこんなに傷つかなくてはいけないんだろう。私はいつも、そう思うのですが、実はここに、女性と男性との宿命的ともいえるような決定的な違いが潜んでいると思うのです。(p16~18)
 ・・・引用終わります。