自叙伝05-01
【アドラー心理学との出会い】
そうして3学期(1991年)になると、いよいよ4月から教育センターでのカウンセリングが始まる。どんな人がどんな相談で来るか考えると、ワクワクしましたが、一方で不安でもありました。論理療法や交流分析をかじった程度で間に合うのだろうか?
この年度は「現代社会」が3年生で履修されていて、この科目には、心理学がほんの少し含まれています。たいていの教師は「政治経済」の分野を重点的に教えて「倫理」や「社会」の分野は省略することが多かったようですが、私はむしろこちらをしっかり指導していました。内容は、「欲求と行動」、「防衛機制」、「性格の形成」、「欲求不満と葛藤」、「内向/外向」……と、教科書に書いてあるのはほとんどフロイトとユングの心理学です。
ある日、化学工学科3年で授業が終わると、1人の女子生徒(TMさん)が教卓へやって来ました。「先生も心理学をやるんですね。うちのお母さんはアドラー心理学というのをやっています。良かったら、本とか講演のテープとかあるので、貸してあげましょうか」と言うので、反射的に「是非お願いします」と答えたら、翌日、小冊子『僕たちのアドラー心理学入門』(現在絶版)と、野田先生の講演テープを数本貸してくれました。
それからは日曜日になるたびに、『僕たちのアドラー心理学入門』という野田先生の講演記録集を読みあさり、「アドラー心理学初級講座」のテープを聞きまくりました。基本前提の、目的論~全体論~対人関係論~認知論と聞いていくうちに、すっかり魅了されました。一旦読み始めると身動きひとつしないで、テープを聴き、本を読みました。隣室の母の耳にも入り、「いいお話じゃなあ」と感動していました。さらに、岡山市内で毎月、野田先生の公開カウンセリングがあることも教えてもらったので、早速見学に行きました。毎月第二土曜日の午後1時から5時まで4ケースあります。カウンセリング料金は5000円で、見学は1ケースにつき1000円です。毎回4000円払って、かぶり付きで見学しました。この会は、“岡山エンカレッジの会”と言う自助グループで、平田淑子さんという方がリーダーさんでした。彼女に誘われて、私もグループに入りました。教育センターへ行く直前に、1,2,3月と3回、野田先生の“ナマ・カウンセリング”を見学できたおかげで、不思議なほど自信がつきました。そしてたくさんのワザを盗みました。
ここで少々、アドラー心理学のガイダンスをしておきます。
《資料》 『アドラー心理学とは?』
アドラー心理学は、アルフレッド=アドラー(1870~1937 オーストリア)が創設した臨床心理学の1つです。アドラーは20世紀初めに一時、フロイトと共同で研究しましたが、理論上の対立(エディプス・コンプレックスに関して)から離脱し、独自の心理学を樹立して、「個人心理学」と名づけました。
それは、精神の内部よりも対人関係のあり方に焦点を当てた、とても実践的な心理学です。「個人心理学」の「個人」というのは、個人主義などと言うときのの個人ではありません。ひとりの人間をパーツに分割して理解しようとしないで、まとまりのあるひとつの生命体・全体ととらえて、“individual”と呼んだのです。
その「個人」の内部には対立・葛藤はなく、パーツごとに一見違った動きをしているように見えることはあっても、実は全体として協力し合って、目標を達成しているとする考えます。
アドラーは、第1次世界大戦の敗戦で荒廃したウィーンに、世界最初の児童相談所を作り、子どもとその親・教師などの援助を積極的に行いました。晩年は、ナチスの迫害でアメリカへ亡命します。お弟子の多くは強制収容所で死んで大打撃を受けますが、アドラーはアメリカとヨーロッパをかけめぐり精力的に講演活動を続けていましたが、1937年、講演旅行中のスコットランドで急死しました。
現在のアドラー心理学は、シカゴへ亡命した高弟ルドルフ=ドライカースがまとめたもの。日本へは、大阪の精神科医野田俊作先生が1982年にシカゴで学んで持ち帰られました。
91年3月には、日本カウンセリングアカデミー特別講座で『グループエンカウンター』が東京であり、参加しました。まだアドラー心理学一本に絞っていなくて、國分先生のおっしゃる「折衷主義」でした。
エンカウンターのファシリテイターは國分康孝・久子ご夫妻で、康孝先生がしゃべり久子先生がサポートするという絶妙のコンビネーションでした。國分先生の定義では、エンカウンターは、「忘年会にいるような雰囲気を味わうこと」だそうです。まあ、盛り上がったこと、盛り上がったこと。どの参加者とすぐにお友だちになれます。もともと人見知り傾向だった私も、すんなり融け込んでいけるから不思議です。もちろん、あの高野妙子さんも一緒です。これまでの自分の性格は何だったのか疑ったくらいです。この講座で、東京の落合秀之さんという若者とお友だちになりました。自称“内気なひでちゃん”です。
グループエンカウンターには、「非構成的」と「構成的」の2種類がある。非構成的は、内容が何も決まっていなくて、ファシリテーターがいるが何も提案しない。参加者が自分たちで提案して実行していくというタイプです。國分先生のは「構成的」で、実施するエクササイズが予め決まっています。3日間、さまざまなワークを順番にこなしていきます。グループの作り方が面白かったです。例によって、まずフロアーを各自自由に歩き回ります。合図で、近くの人とペアを作ります。その場に座って、お互い自己紹介します。今度はペアでフロアーを歩きます。合図で、他のペアと組んで4人グループを作ります。4人で座ったら、それぞれのペアが自分のパートナーをもう一方のペアーに紹介してあげます。他己紹介です。このワークは共感性を高めるのに役立ちます。
今、考えたのですが、学校でのいじめ防止に、児童・生徒が学年初めにペアを作って、校内にいるときは必ずペアで動くということにしたらどうでしょうか?もしも相性の悪い人とペアになったとしても、そこは離婚した夫婦が漫才コンビを続けていることなどを参考にして、割り切れるかもしれません。「生活ペア-」とでも名づけましょうか。トイレに行くのも一緒、お昼ご飯も一緒、教室移動も一緒、体育や実習で他の人と一緒になっても、終わればまたペアといる、もちろん席は隣同士……。無理かな?できないかな?できないでしょうね。
落合君と知り合ったのは、「現在の自分を絵に描く」というワークのときでした。私は絵が不得意で、特に人物が苦手です。そこで、歌舞伎座の舞台と花道のスッポンが下がっている様子を描きました。グループのメンバーへは、「私が主役でこれからスッポンからせり上がってくるところだ」と説明しました。のちにもっと歌舞伎に詳しくなってわかったのですが、スッポンから出入りするのは人ではなくて、物の怪とか幽霊だそうです。まさに知らぬが仏です。秀ちゃんのは、乞食さんがござを担いで歩いている人でした。これがご本人だそうです。いかにも陰気で自己評価の低さが表されています。これが母性本能を刺激したのでしょうか、そのあとはまわりのおねえさま・おばさまから「秀ちゃん、秀ちゃん」と大人気者になりました。秀ちゃんもずいぶん勇気づけられたようで、次の日から見違えるほど明るくなりました。ポジティブキャラクターに変身しようとしてか、会場の最寄り駅「四谷」が近づいたとき、電車の中で「次はよつやー、次はよつやー」とコールしながら歩いてみたそうです。行動療法の“シェイムアタッキング”というテクニックです。國分先生は、度胸試しに、汚い服装で高級ホテルのフロントへ行って、「昨日刑務所から出た。シングルで1泊したい」と言うように勧められていました。秀ちゃんは似たのを実行されたんです。フロアを歩き回っている私の姿が國分先生の目にとまって、次のワークでは國分先生の相手役に選ばれました。参加者はみんなニックネームで呼び合っていて、私は「成駒屋」でした。國分先生も、「成駒屋さん、私は学校の先生になります。あなたは保護者で自分の子どものことで学校にクレームをつけてください。とにかく訳のわからないことを言い続けてください」と指示されました。あとは、2人で押し問答です。ああ言えばこう言うで延々と対話が続いて、適当なところで、國分先生が「では、この辺で折れてください」とおっしゃって、私は「先生のおっしゃることはよくわかりました。今日は話をしっかり聞いてくださってありがとうございました」と無事フィナーレになりました。他のワークとしては、新聞紙を叩きながらペアで文句の言い合いをしたり、「エンプティーチェア」という実習もしました。これは、空の椅子に向かってまずしゃべって、今度は交代して向かいの椅子に座って、相手の立場で反論するというやり方です。この実習で、ある若者が感極まって号泣するというひと幕がありました。トイレで一緒になったので、「良かったですね」と声をかけたら、その方も喜ばれていました。私が最もはまったのは、「内観」でした。これは壁に向かって座って、小さいころ、「親にしてもらったこと、して返したこと、迷惑かけたこと」を振り返るものです。私は子どものころの父親とのことを思い出していました。母親べったりだった私は、このときまでは、父親を恐い自分勝手な人間だと思い込んでいましたが、このワークを通じて、どんどん父に良くしてもらったことや、迷惑をかけて埋め合わせをしていなかったことを思い出し、号泣まではいかないけど、感極まりました。同じグループの女性からティッシュペーパーをいただいたりして、結構甘えました。これはしっかり自分のライフスタイルです。
1日の実習を終えると、毎晩毎晩仲好しになったメンバーと飲み会&夕食会に出かけました。今夜は四谷、翌日は六本木、次は新宿という具合に、毎晩夜中にホテルに戻りましたが、翌日のワークでは睡眠不足感も疲労感もなくみんな元気そのものでした。
私が芝居好きなことを告白すると、早速その晩、歌舞伎座の一幕見に行くことになりました。一幕見席は4階の大向こう、いわゆる立ち見席ですが、2列椅子席があります。幸いみんな座れました。出し物は、故・中村富十郎の「盲長屋梅加賀鳶(くらがりながやうめのかがとび)」というお芝居でした。歌舞伎は初めてという女性がいましたが、「面白かった-」という感想をいただきました。講座も夜も盛り上がり、最終日のお別れはほんとにつらかったです。