自叙伝03-08
【岡山大学ボート部8】
8 6月から、岡山大学付属中学校で教育実習が始まりました。実習は2班に分かれて実施され、前期が6月、後期が10月にありました。われわれは前期組です。一般教養で一緒に授業を受けた連中と久々に対面で、賑やかにスタートしました。担任クラスは1年生で、早瀬節男先生という体育の先生が指導教官でした。社会科の授業は青春まっただ中の藤木明佳先生で、穏やかな人柄に好感を持ちました。藤木先生は、のちに備前高校在任中に、高校の歴史教師として赴任され、元恩師と同僚関係になるという、不思議なご縁があります。 1年生の授業は「地理」で、教案作りが大変でしたが、学校の図書館で自由自在に資料を選べて、何とか学校にいる間に翌日の教案ができあがっていました。バイトには差し支えはありませんでした。クラスの生徒たちはみな上品です。そもそも附属中学にはインテリさんのご子弟が多く、やんちゃ坊主はほとんどいませんでした。私のことですから、すぐに彼等と親しくなり、日曜ごとにあちこちへ遊びに行くのに誘われました。ある子などは、ほぼ1日遊んで、帰り際に寿司屋へ寄りました。その子は、迷わずカウンターに座って、お好みネタを次々に注文します。私も適当につきあって、何品か食べましたが、勘定書きを見てびっくり仰天しました。見栄を張ったばかりに、お財布がすっかり空になりました。ある程度の備えを準備していて恥をかかなくてすみました。そのころはまだ回転寿司はなかったです。その子の父親は医学部の教授だそうです。ヤレヤレ……お坊ちゃまだったか。 夏休みで実習は一時中断です。残りは9月に他校実習です。 ボート部の夏は、手塚君の事故死のあと、対外試合出場自粛となり、練習のみとなっていましたが、8月11日には恒例の小豆島遠漕を実施しました。一行20人ほどがナックル艇に分乗して小豆島へ向かいました。私はそれまでは参加したことはなかったのですが、今回は最後ということで、バイトの都合をつけて夜のキャンプファイアーに間に合うように連絡船であとを追いました。私が到着すると間もなく夕食兼キャンプファイアーが始まり、次第に盛り上がっていきます。女子部員はボート部のコンパではだいたい前半の整然と行われる部分に参加して、そろそろ乱れ始めるころには、決まって退席していました。私も、バイトはあるし、カトリックの関係で乱交パーティーには同席したくないので、女子部員とともに退席しました。小豆島のキャンプファイアーでも同じで、女子が退場してすぐに、私もバンガローへ移動して1人で疲れを癒しているうち、そのまま寝込んでしまいました。事件はそのあと起こります。あまりにも破廉恥な事件で、ボート部の負の遺産となりました。差し支えがあって、ここには記述できません。あとで冷静に振り返ると、ずっと伝統的に同じような出来事はあったようですが、あくまでキャンプファイアーの場所に留めていて、外へ出ることはなかったというだけのことです。若気の至りということで、笑い話として処理することもできます。その事件の総責任者は当然、キャプテンの行司伸吾君です。彼も今は故人となりましたので名誉のために、事件のあらましは伏せておきます。事件の後始末が一段落して、家庭教師のお宅へ行くと、どこでもその事件のことを聞かれました。私は参加していなかったことは新聞でも報じられていて、責められることはありませんでしたが、ちょっとだけ恥ずかしい思いはしました。教会に行くと、どなたからも「男子学生1名不参加というのは大森さんでしょう」と、カトリックの名誉を守ったということでお褒めの言葉をいただきました。 9月になると、教育実習が再開されます。ここでも事件の話題でしばらくは賑やかでしたが、すぐに落ち着きました。1週間、倉敷西中学校で実習です。ここでは「養護学級(今の支援学級)」も経験してレパートリーを広げました。滞在中に運動会があり、支援学級の子どもたちと楽しい1日を過ごすことができました。 教員採用試験も夏休みのうちにあり、滑り止めに大阪市を受けていましたが、何とか岡山県の高校で合格しました。次の年から「地理」が必修科目になるということで、増員が予想され、この科目で受験するのが有利だと聞き、私は地理は得意ではなく、単位も最小限しか取得していなかったのですが、思い切ってそれで受けました。おそらく滑り込みセーフだったのでしょう。 3月下旬の卒業式までに、井原市に新しくできた定時制高校から呼び出しが来て、やれやれとそこを訪問しました。 当時の井原市は国鉄が通じていなくて、「陸の孤島」とも呼ばれて、通勤の困難な地域でした。交通手段としては、国鉄・笠岡駅から井笠鉄道という軽便鉄道が矢掛と井原経由で広島県の神辺へ通じていました。バスは国鉄が矢掛まで、それと井笠鉄道のバスが縦横に走っていました。運賃が高額でとても岡山から通勤できるものではありません。井原市内に下宿することになります。ここで、この自叙伝は「ふりだし」に戻ります。 |