自叙伝03-04

【岡山大学ボート部4】

  1年生のときは、ボート部員として練習には一応適当に参加していたのが、学年末の選手入れ替えで、私はナックルフォアーの対抗選手(本ちゃん)に組み込まれました。えらいことです。いろいろ言い訳をして断ろうとしました。生活費と学費を稼ぐためには、家庭教師のアルバイトを数軒かけ持ちしている。そのため練習開始時間に間に合わない。日曜日の午前中にはカトリック教会のミサに行く。高額な合宿費が払えない。などなど……。部長(鶴田文夫さん)は、「それでもかまわない」と言ってくれました。1年先輩の藤原潔さんは、合宿所の近所に住んでいて、リッチな農家のご子息でした。彼は私の合宿費をたびたび立て替えてくれました。私が寒い季節にまともなオーバーコートを着ていないのを見て、豪華なスペアのコートを貸してくれたりしました。それでも、春休みに合宿が始まると、私は合宿所(艇庫)に布団を運ぶのをグズグズ怠けて、結局、初日はドロンしてしました。高校時代の親友の1人である近間 章(こんま あきら)君が香川大学に行っていて、宮脇町に下宿したのを思い出して、そこへ転がり込みました。彼は快く私を泊めてくれて、高松市内を案内してくれました。2,3日お世話になりましたが、合宿所で私を待ちながら他のメンバーが練習しているのを思うと、「神様が許さない」と罪悪感を感じ始めました。それで結局は、3日ほど遅れて合宿インしました。対抗ナックルフォラーのメンバーは、コックス(C)が1年先輩の柴田浩志さん、整調(S)が坪田君、2番が私(大森)、3番が長森君、B(バウ)福田君でした。福田君は自称「バウの範ちゃん」で、われわれは「範ちゃん」と呼んでいました。彼もクリスチャンでしたがプロテスタントです。それでも、彼は日曜日に私ほど大騒ぎして教会へ行こうとはされず、淡々としていました。私は、ミサは欠かせないとしっかり宣伝して、必ず抜け出していました。長森君は顔が丸くて風船のようで、ニックネームは「フーセン」で、私は「アーメン」でした。


写真:初陣の朝日レガッタ会場(琵琶湖)にて、右から福田、長森、坪田、大森、真ん中に座っているのが柴田先輩。

 私は大学生になると自宅を出て、家庭教師をしているおうちの一間を借りていました。そこは、繁華街千日前のど真ん中にある食堂で、従業員宿舎の一室でした。ご主人の孫娘(当時小学校6年生)の家庭教師も主にその部屋で行いました。隣室には、食堂で働く乙女(おばさんも)たちが寝起きしていました。当時の千日前は、岡山一の歓楽街で、飲食店や映画館が建ち並んでしました。私がお世話になった食堂は、千日前と西大寺町の交差点の角にあり、大繁盛している店でした。映画館はすぐ隣が岡山松竹、その向かいが日活。少し南へ行くと、白鳥座(大映専門館だったり洋画専門館だったり)、向かいが文化劇場(ここも大映になったり洋画になったりSY松竹文化となって松竹映画を上映したりしました)で、白鳥座の南は70ミリのテアトル岡山でした。現在はすべてなくなりました。映画館の間に何軒かパチンコ屋があって、夜も昼もそれはそれは賑やかでした。音に過敏な私がそのころは平気だったみたいです。夜、寝ていると、チーンジャラジャラ、軍艦マーチ、君が代行進曲、映画館の客寄せ放送、道行く人の話し声が響いてきます。今思うと、よくまあこんな環境で眠れたものだと思います。耳が過敏になったのは、その後生活が少し贅沢になったからでしょうか。
 家庭教師は、その食堂の他に、隣の食堂の坊ちゃん(小学6年生)と、少し離れた寿司屋さんの姉妹をかけ持ちしていました。週に3回を曜日を違えて組んでいました。ときどき2軒かけ持ちになり、そのときはボートの練習が大幅に遅れました。大学の授業の後家庭教師、自転車で合宿所へ駆けつけると、他のクルーはすでに水上練習中なのに、私たちのクルーだけが岸辺で私の帰りを待っていました。謝る暇もなく、私の到着で一気に漕ぎ出します。誰ひとり不機嫌な顔をされませんでした。
 合宿所の朝は大変です。トイレは汲み取り式のが1つあります。女子は別の農家の離れを借りて合宿所にしていますから、ここは男子だけです。それでも20人近くはいます。時にはトイレの順番待ちです。油断していると、下級生はタイミングを逃して、用を達せず、結局大学のトイレを使ったりします。下級生の私たちも工夫して、何とか朝食前に合宿所ですませるように、起床時間を他の部員よりも早める作戦をとりました。これはうまくいきました。まだ全員が寝静まっている超早朝に、そーっと起き出して、2階から下りて、台所の外にあるトイレ(こんなオシャレなものでなく「便所」)に入ります。同じ志の仲間が2,3人で順番を待ちます。今のようなトイレットペーパーはありません。新聞紙で後始末ができればマシで、ここでは週刊誌が1冊置いてありました。柔らかいページから先輩が破って使いますので、まともに順番待ちをしていると、下級生にはグラビア固いページしか残っていなかったりします。それをクチャクチャ揉んで、お尻を拭きました。早起きしたときは、もったいないけど、柔らかいページを使いました。
 合宿所の食事には独特のルールというかマナーがありました。飯と一部のおかずはお替わりができました。それらはゆっくり食べて、初めから量が決まっていてみんなで分けるものは早い者勝ちでしたから、まず競争で自分の取り分を確保しました。その争奪戦の凄まじかったこと。生存競争という言葉のとおりです。まさに「腹が減っては戦はできぬ」の世界で、こういう環境で育ったおかげで、ずいぶんたくましくはなりましたが、万事に控えめな私は、食べ損ねたりもしました。コンパなどでは、ゆっくりじっくりいただいていると、仲居さんが気にしてくれて、「しっかりおあがり」と僕には特にお皿にご馳走を盛りつけてくれたりで、甘やかしてもらえました。これで年上の女性に甘えるクセがしっかり身につきました。