自叙伝03-03
【岡山大学ボート部3】

 岡山市内の清心女子大はカトリック系の大学ですから、カトリック教会には当然、そこの学生さんたちが大勢出入りしています。いつしか、英文科の直木和子さん(2年ほど年上)という人ととても親しくなりました。一緒にバザーを手伝ったり、私の手記を読んでもらったりしているうちにデート(健全な)もするようになりました。だいたいはお散歩と、喫茶店でコーヒーをいただきながらのおしゃべりでした。お父上は岡山大学の事務官で、ご一家は大学構内にある社宅に住まれていました。ご主人以外のご家族はみんなカトリック信者でした。たびたびお宅に招かれた私は家族同様の扱いを受けました。私より2歳年下の昭子さんという妹さんともそのうち親しくなりました。昭子さんは家政科で、おねえさんよりおっとりした感じのする女性でした。おねえさんはどちらかというと才気煥発で、妹さんは話し方もゆっくりで立ち居振る舞いが穏和な感じでした。弟の伸一君は背のすらりと高い好男子で、私が担当する「公教要理」の生徒でもありました。この一家は百人一首のカルタ遊びが大好きで、お正月に遊びに行くと、家族全員プラス私でそれはそれは賑やかに行われました。次々にルールを追加しました。あるとき、「一度手にした札も油断していると奪ってよい」というルールを追加しました。一度取得した札を自分のそばへうっかり置いていようものなら、まるでハイエナの総攻撃のように、周囲から一斉にその札目がけて襲いかかります。上へ下への大騒ぎが常識となりました。これは上品なカルタ遊びとは言えなくてむしろ格闘技です。
 和子さんは清心女子大を卒業後、神のお召しがあったということで、修道女になられて、神戸市垂水区の修道院へ入られました。私は大胆にもその修道院を訪問したことがあります。JR垂水駅で電車を降りて丘を上がると修道院です。突然の訪問でしたが、「カトリックの信者です」と言って案内を請うと、ベテランの修道女さんが応接室に案内してくれました。そへ黒い尼僧姿の和子さんが付き添いの修道女とともに現れ、約1時間ほど監視付きでおしゃべりをしました。だいたい世間話でしたが、とても貴重な体験になりました。このころ映画の世界では超二枚目俳優のアラン・ドロンが「太陽がいっぱい」のヒットで大ブレイクしていました。この作品の前の作品は、ブロンド美人女優のミレーヌ・ドモンジョと共演した「お嬢さんおてやわらかに」で、修道院が出てきました。付き添いの修道女さんはその映画に出ていた人と似ていて、「男性の訪問客は珍しいですよ」とやさしくおっしゃいました。しばらくして彼女は還俗(娑婆へ戻ること)して嫁いでいかれました。このことは妹の昭子さんから聞きました。
 私が2年生になると、ボート部では卒業生が抜けてクルーの再編成がありました。有望だった山内君は退部して、メンバーが足りなくなったためもあり、私がナックルフォアーの一軍に組み込まれました。これは大変なことで、逃げないといけません。