自叙伝03-02

【岡山大学ボート部2】

 翌日から指示されたとおりに、放課後直ちに艇庫を訪れました。今日の先輩たちはみんなやけにやさしく、艇の種類の説明や部員個々人の紹介などしてくれて、前日の緊張がほぐれていきました。ボートの花形はもちろん「シェルエイト」ですが、岡山大ではエイトで大会に出場するほどの実力がないのか、その半分サイズの「シェルフォアー」をメインに、初心者向きの幅広で頑丈なナックルフォアーにも力を入れていました。女子も対抗レースにナックルフォアーで出場しているそうです。丈夫ひとすじの筋肉お姉様方の存在感には圧倒されましたが、失礼ながらお色気はほとんど感じませんでした。ふと、操山高校演劇部の女子部員のお色気を思い出しました。男子の先輩たちは6月の中国大会に備えての合宿中でした。新入部員たちは、入部当初は、ナックルフォアーに乗せてもらって、漕法や舵(ラダー)の使い方、離岸・接岸の仕方など丁寧に教わりました。近くの高島という無人島へ行ったり、旭川を上って京橋あたりまで交代交代で漕いで行ったり、途中にある紡績工場の下では女子行員さんたちが手を振ってくれて、私を見て「橋幸夫に似ている」と叫んでくれたり、それはそれは楽しい水遊びが続きました。授業が終わるのが待ち遠しいくらいでした。これは新入部員がやめないための「お花見作戦」だと、のちになってわかりました。「ボート部はこんなに楽しいところだとわかって定着してから地獄のしごきをする」作戦です。気づいたときはすでに手遅れでした。すっかり蟻地獄へはまっていました。
 そのうち、われわれのクルーを編成してもらえました。水野氏と三宅氏はさすがに目立っていて、いきなりシェルフォアーでした。山内君や長森君、坪田君や福田君はナックルフォアーで、私は「その他大勢」組でブラブラしていました。これは助かりました。父親が大学進学に反対で、それを押し切って母が内職で学費を工面してくれていましたから、最低限を負担してもらって、あとは家庭教師のバイトでまかないました。しかも、日曜日には天神町のカトリック教会のミサに「信教の自由は憲法で保障されている」と先輩をくどいて、毎週必ず出してもらっていました。
 カトリック教会へ行くようなったのは、まことに不純な動機からで、ここへは書けません(笑)。そこには全国カトリック学生連盟の岡山支部があって、私も当然勧誘されてメンバーになりました。この連盟に岡山大学の先輩で深本 浩さんという私と同名の方がいらっしゃって、私が洗礼を受けるときの養父(立会人)になってくださいました。神父になるため上智大学神学科へ行っている高原照治さんは、帰省中はこの教会で活動されていました。深本さんから寄贈された「キリストにならう」という小冊子と、当時使っていた「新約聖書」(カトリック版)は今も大切に保管しています。洗礼はヴァン・デ・ワーレ神父から受けました。彼はベルギーから派遣されていました。子どもたちや学生に大変人気のある神父様でした。カトリック学連の指導司祭はスメット神父様で、この方は他の神父様よりもお若かったです。1961年夏のカトリック学連の全国大会(会場=東京・上智大学)にはスメット神父様と東京までの道中をご一緒しました。当時は新幹線はなく、岡山から大阪までは準急(のちに急行)鷲羽で2時間半、大阪から急行「なにわ」というのがありましたか、それに乗り継いで8時間という長旅でした。ずっと座席ですが、若かったのでまったくつらくはなかったです。神父様の母語はオランダ語でしたが、英語も日本語もペラペラでした。私とは英語と日本語をミックスして会話しました。


(写真=岡山教会の神父様たち。右からヴァン・デ・ワーレ神父、ヴァン・アッセ主任神父、スメット神父、あとの方は忘却)


(写真=全国カトリック学生連盟総会。浩は最後部のくぼんだあたりにいて学生帽を被っています。この上智大学のグランドの向こう側は「四谷駅」です。地下鉄丸の内線が四谷では地上に出ていて、それがこのグランドの向こうの左端で地下に潜ります。)

 日曜日のミサの後には、バザーなどさまざまな催しがあり、私は子どもたちに「公教要理」(子ども用の教理解説講座)の講師役を仰せつかりました。「ア・モンテ・カント・合唱団」というコーラスグループがこの教会にあり、そこへも参加しました。いきなり譜面を渡された団員は全員すぐさま歌い出すので、ついていけない私は「口パク」をしてごまかしました(笑)。このころの私はテノールでした。自分のパートだけを歌うようにたびたび指示されます。歌わないわけにはいかなくて、このときは大きな声を張り上げていました。高校での芸術は音楽を選んでいましたから、声は出しなれていました。クリスマスや復活祭などの大祭ではミサが「荘厳ミサ」になり、司祭の祈りも信者の応答も全部歌になります。日ごろのミサでは祈りはラテン語で全文司祭が述べるのを、荘厳ミサでは、冒頭を司祭が歌うと、後は教会2階後部の合唱隊が引き受けて長々と歌うのです。定期的に合唱団の練習があり、忙しい中にもなるべく参加して「口パク」をしていました。モーツアルトの「レクイエム」の練習が特に印象に残っています。今もメロディーを思い出せます。♪暗くもの悲しい「キリエ」でいきなり盛り上がり、「怒りの日」は大迫力です。ディーエス、イレ、ディーエス、イラ……