4,曽子、疾(やま)いあり。孟敬子これを問う。曽子言いて曰く、鳥の将(まさ)に死なんとするや、その鳴くこと哀し。人の将に死なんとするや、その言や善し。君子の道に貴ぶところのものは三。容貌を動かせば、ここに暴慢の遠ざかる。顔色を正しくすれば、ここに信に近づく。辞気を出(い)だせば、ここに鄙倍(ひばい)を遠ざく。籩豆(へんとう)のことは、則ち有司存す。

 曽先生が病気で危篤の床にいるとき、孟敬子が見舞われた。曽先生が(鄭重に)言った。「鳥の死に際の鳴き声の、なんと哀しげなことよ。人間の死に際に残す言葉のなんと立派なことよ。私の最期に申しあげる言葉を、どうかお心にとどめられますように。君子たるものは、日ごろの生活に三つのことを心がけねばなりません。第一に、立ち居振る舞いに気をつけられること、そうすれば暴力と軽侮は自然に遠ざかるでしょう。第二に、顔つきを厳然となさること、そうすれば人の信頼が自然に集まるでしょう。第三に、発言なさるときは、語気に注意されること、そうすれば野卑で不合理な言葉は自然に耳に入らなくなるでしょう。このほか、神や先祖を祀る儀式を行うときは、高坏などの器をどう並べるか、お供えをどう盛るかなどは、掛かりの役人にお任せになることです。

※浩→孟敬子は、孔子に「孝」を問うた孟武泊の子です。「辞気」は、言語およびそれに伴う雰囲気で、「辞気を出す」は言葉づかいで、それが礼のおきてにもとづいていれば、鄙(いや)しい道理に背いた他人の言語を遠ざけることができるということです。鄙倍の「鄙」は野卑、「倍」は背で不合理なこと。「籩」は竹で編んだ高坏、「豆」は木の高坏、祭祀などに用いた供物を盛る器です。
 「鳥の将に死なんとするや、その鳴くこと哀し。人の将に死なんとするや、その言や善し」はよく聞いた有名な言葉です。儒教は「性善説」ですから、どんな悪人も死ぬときは善心に戻って、その発する言葉は真実だと言っています。「輪廻転生説」「因果応報説」がある一方で、どんな人も「死ねば仏」という考えも定着しています。刑事ドラマを見ていると、刑事が死体を検査する前に必ず合掌しています。極悪非道な人であっても、死んだら仏様だと考えれているからでしょう。確か、中国の人がこの様子を見て感動したとか聞いたことがあります。「死体」と言わないで「遺体」と言うのにも、死者を悼む心が現れているのでしょう。うちの父親が臨終のとき、私は岡山市から遠い井原市に赴任していて、知らせを聞いて駆けつけましたが、間に合いませんでした。済生会病院で亡くなりました。父は五人きょうだいの末っ子で、大切に育てられたためかわがままなところがあり、母はずいぶん苦労したようです。そういう母も兄と二人きょうだいの末っ子で、「箱入り娘」だったのでしょう。やはり大切に育てられたはずです。アドラー心理学ふうに解釈すると、末子カップルですから、トラブルはありそうです。私は母親べったりでしたから、子どものころは「お父ちゃんが絶対悪い」と思い込んでいました。父は短気で、気に入らないことがあると、お茶碗や時には七輪などを投げたりしていましたが、それでも決して母自身には暴力をふるいませんでした。しかも父は大変器用な人で、壊したものをあとで組み合わせてみたりして、どうしても元に戻らないと、自転車を飛ばして、荒物屋へ行って、新しいものを買ってきていました。今思い出すと、その様子はほほえましいです。結局、両親は長い間別居していましたが、それでも父が入院すると、母はつききりで看病しました。そして息を引き取る直前に母に「すまなかった」と言ったそうです。母は、「あの一言で救われた」と話してくれました。その母は、私が1週間ほど東京へ出張中に、帰宅する日に台所で1人で亡くなりました。私は両親ともに死に目にあえませんでした。でも、歌舞伎俳優の十七世・中村勘三郎さんが東京で亡くなったとき、息子の勘太郎(現・勘九郎)さんと七之助さんは京都南座顔見世に出演していて会えませんでした。プロは親の死に目に会えない宿命でしょう。私も今や後期高齢者で、あまり遠い先のことはわかりませんが、死に際に「よい言葉」を残すよりも、ささやかでもアドレリアンとして活動し続けたいです。