10,子、顔淵に謂(い)いて曰く、これを用いれば則ち行い、これを舎(す)つれば則ち蔵(かく)る。唯(ただ)我と爾(なんじ)とこれあるかな。子路曰く、子、三軍を行なわば、則ち誰とともにかせん。子曰く、暴虎馮河(ぼうこひょうが)し、死して悔いなき者は、吾ともにせざるなり。必ずや事に臨みて懼(おそ)れ、謀を好みてなさん者なり。

 若い顔淵を前にして、先生が言われた。「世の中が自分を認めて任用すれば、表立った行動をする。しかし世の中から見捨てられた場合は、じっと潜み隠れる。そうした自由自在な境地は、私とお前だけが所有している」と。するとそばに座っていた子路がむくれて、くちばしを挟んだ。「もし先生が、三軍(大きな大名の国の軍隊編成。一軍は12,500人、三軍はその3倍の37,500人)とともに行動されるとき、さらに言い換えれば、先生が国軍の総司令官になられたとき、そのときには誰を行動の仲間とされますか?そういうときは顔淵では間に合いますまい。この勇敢な私でなくては」。先生は言われた。「虎に素手で立ち向かったり、大河をかち渡ったり、死んでも後悔しないような、そんな人間は私の仲間ではない。私の仲間となる者は、必ずきっと、事にあたって慎重にかまえ、よく計画を立てて成功する者、そうした者でなければならない。軍事についても、あるいは軍事についてならばこそ、無企画な勇気は、私の友ではない」。

※浩→弟子の子路がお師匠様の注目をめぐって嫉妬してます。“嫉妬”というと、まず、きょうだいの嫉妬で、アドラー心理学ふうには「きょうだい競合」があります。古い話では、『旧約聖書』「創世記」のカインとアベルの兄弟です。カインとアベルは、アダムとイヴがエデンの園を追われたあとに生まれた兄弟です。また、この2人の弟にセツがいます。カインは農耕を行い、アベルは羊を放牧するようになった。ある日2人はおのおのの収穫物を神・ヤハウェに捧げる。カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は無視した。これを恨んだカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。その後、ヤハウェにアベルの行方を問われたカインは「知りません。私は弟の監視者なのですか?」と答えた。これが人間のついた最初の嘘だとされる。しかし、大地に流されたアベルの血はヤハウェに向かって彼の死を訴えた。カインはこの罪により、エデンの東にあるノドの地に追放されたと言う。このときヤハウェは、もはやカインが耕作を行っても作物は収穫できなくなることを伝えた。また、追放された土地の者たちに殺されることを恐れたカインに対し、ヤハウェは彼を殺す者には7倍の復讐があることを伝え、カインには誰にも殺されないためのカインの刻印をしたと言う。カインは息子エノクをもうけ、ノドの地で作った街にもエノクの名をつけた。
 このエピソードにもとづいて作られたのが、アメリカ映画「エデンの東」です。1955年に日本で公開されました。当時の私は中学2年生でした。幼なじみで同じ岡山市の中学へ通っていた広瀬康久君があの年齢としては凄い映画通でしたので、よく蘊蓄を語ってくれました。この映画の主演はジェームス・ディーンという陰りのある二枚目俳優で、一気に世界のアイドルになりました。その後「理由なき反抗」でナタリー・ウッドと共演、さらには「ジャイアンツ」でエリザベス・テイラー&ロック・ハドソンとも共演しましたが、その直後自動車事故であっけなくこの世を去ってしまいました。ブロマイドの売れ行きなんかそれはそれは凄かったです。そのころのトップは、美空ひばり、中村錦之助(のち萬屋錦之助)、そして石原裕次郎でした。日活の若手俳優・赤木圭一郎が自動車事故で亡くなって、“和製ディーン”の異名をとったのも有名な話です。この「エデンの東」に影響された日本映画としては小津安二郎監督、有馬稲子主演の「東京暮色」と、石坂洋次郎原作、石原裕次郎主演の「陽の当たる坂道」です。どちらも日本映画の代表です。2作ともに、子どもを捨てて、あるいは事情があって手放した、母親が登場します。それらのあらすじを述べると、肝心の「エデンの東」に手が回りませんから、いずれの機会かにということにして、「エデンの東」のあらすじをたっぷりお話しましょう。(つづく)