4,子華(しか)、斉(せい)に使いす。冉子(ぜんし)、その母のために粟(ぞく)を請う。子曰く、これに釜(ふ)を与えよ。益(ふや)さんことを請う。曰く、これに臾(ゆ)を与えよ。冉子、これに粟五秉(ごへい)を与う。子曰く、赤(せき)の斉に適(ゆ)くや、肥馬に乗り軽裘(けいきゅう)を衣(き)たり。吾聞く、君子は急を周(すく)いて富めるを継(たすけ)ずと。
子華が斉国に使いにやられた。冉子が留守宅の子華の母親のために粟(あわ・穀物)を貰いたいとお願いした。先生は言われた。「釜(ふ=約五升七合)を与えておきなさい」。もっと増やしてほしいと冉子がお願いした。先生は言われた。「臾(ゆ=約一斗四升七合)を与えておきなさい」。冉子は五秉(ごへい=約七石一斗八升)を子華の母親に与えた。先生が言われた。「子華は斉国に出かけるときに、肥えた駿馬に乗り、高級な軽い毛皮の服を着ていたと聞いている。君子は、困窮した者を助けるが、富裕な者を更に豊かにはしないものだ。
※浩→子華は姓は公西(こうせい)、名は赤(せき)、字(あざな)は子華という孔子の弟子です。子華が斉国への使いとして派遣されたときに、孔子は子華の使いの必要経費(あるいは母のための留守手当て)となる粟を、母親に送ることを渋ったという。それは、子華が素晴らしい駿馬や美しい毛皮のような贅沢品を購入して斉国に赴いたことへの孔子の批判であり、「外交使節としての必要経費(あるいは留守手当て)」には子華が使ったような虚栄心を満たすための嗜好品は含まれないということです。君子は本当に貧しい者を助けることに躊躇しないが、裕福な者の贅沢や浪費を手助けするような支援をすべきではないということです。
これは現代の、累進課税や所得の再分配のような、豊かな国民と貧しい国民の経済的格差を縮めるための政策を思わせます。こういう工夫を施さないでいると、よく言われるように、「豊かな者はさらに富み、貧しい者は今あるものまで奪われる」ような悲惨なことが起こるでしょう。桂枝雀のお得意のネタに「高津(こうづ)の富」というのがあります。高津は大阪の高津神社で、「富」は富くじ(今の宝くじ)です。この落語の“まくら”です。お札は寂しがり屋で、1枚では立てません。大勢くっつくと立てます。お金はもっとお金のあるところへ「飛んでいこう、飛んでいこう」と豊かな人のもとへ集まります。ですから、お金を貯めようと思うなら、まずお金を貯めなければならないのです」とあります。日本は、世界がうらやむ豊かで幸せな国だと言われていました。最近はそれはもはや神話で、貧富の差はますます広がり、working poor という言葉ができたくらいです。「働けど働けどわが暮らし楽にならず。じっと手を見る」は石川啄木の有名なフレーズですが、それは自身のフラフラとした働き方や、身の丈に合わない出費で遊び回っていたことが大きな原因だという説があります。仕事は気分で欠勤しまくる。給料の前借りは慣習化していて、「これ以上前借りできない」という状況になると、友人・知人にすぐ借金する。お金を借りたエピソードには「首尾良くいって」とか「これでもう取るところがない」などと書かれていて、貸してくれた人への感謝や、返済への責任感が感じられません。さらにそのお金の使いみちは、ほとんど花街でした。どんな女性とどんなふうに夜を共にしたか、行為の内容が赤裸々に書き記されています。「妻は一番愛しているけれど、その気持ちと他の女性への興味はまったく別」的なことを書いていて、また「家族を養う重圧を考えると、死にたい」というような記述も見受けられます。借金までして自分だけ遊びまくり、妻は質屋通いとはひどすぎます。作品の素晴らしさとのあまりのギャップに驚きます。天才ってこんなんでしょうか?やっぱり「英雄イロを好む」でしょうか?