Q
長年、対人恐怖を引きずってきて、アドラーに巡り会えなかったら自滅していたことでしょう。今まだまだ人の集まりの中に入っていくのも疲れますし、高圧的な人に出会うと負けてしまいます。異常にもなります。こんな自分でも世の中に貢献したいと思い、ボランティアなど志していざスタートしてしまうと、やはり腰が引けてしまいます。「スマイル(パセージの前身)」も二度、「プラサード」も二度受けていますが、今私に一番必要なことはどんなことなのでしょうか?こんな状態ではまだまだ世の中に貢献なんて無理でしょうか?
A
あのー、世の中に貢献といっても、即ボランティアに行かなくていいんです、別に。たとえば、自分にできることなら何でもいいんです。家の前を掃除するとか、そんなことでもちっともかまわないので、そんなに大げさなことを考えないでやってみてください。だんだんそれは自然に大きくなっていくから。ところで、私も人の集まりの中に入っていくのは嫌いなんです。特にパーティーがイヤなんです。日本アドラー心理学会総会には、まずいことに懇親会があるんです。懇親会は嫌いなんです。懇親会に行くと、みんな話しかけてくるんです。まあ当然でしょうけど。私、話したい人としたくない人がいるんです。話したくない人ともやっぱり話しないといけないでしょう、あんなところでは。それってイヤなんですよ。ある程度以上の人数のパーティーってすごく困るんです。それから、地方へ講演会なんかに行くと、講演会のあとでみんなでどっかへ行こうって言うのが好きな地方があるんです。嫌いな地方もあります。自分の気に入った人、気心の知れた人と一緒にお酒のみに行くとかご飯食べに行くのはちっとも構わないんですけど、その地方の人みんな「野田さん行くから一緒に行こう」って 、全然僕初めて会う人を連れてくるんですよ、2,3人とか5,6人とか。その人たちは確かに僕のお友だちの友だちで、その人たちは仲がいいんですけど、私は片っ方を知らないんですよ。こんなときすごく困る。どうしていいか。しかもまずいことに、向こうはこっちをよく知っているんですよ。だから一層具合が悪いんですよ。それから、強圧的に出てくる人は嫌いです。そんな人とはつきあわないことにしています。逃げ回っています。顔見ないように、なるべく会わないように。だから、そんなの別に直そうと思わないで。私はパーティー嫌いで、それから初対面の人と話すのすごく苦手です。役割が決まっているときはできるんですけどね。私が先生で向こうが生徒とか、向こうが先生でこっちが生徒とか、お商売の取引とか、わかっているとできるんですけど、全然そうじゃなくて、友だちがその友だちを紹介してくれたりすると困るんです、何話していいのか。私の友だちが、アドラー心理学も全然知らない人に、「これ野田さんと言ってアドラーやっている人なんですよ」と紹介して、「よろしく。はじめまして」と来られたら、次、何話ようか、困ったなって思う。それってノーマル、普通の人なんです。そのことを悩みさえしなければね。神経症というのは、みんなが普通に持っている現象に悩む人たちのことを言うんです。悩まない人のことを正常と言うんです。正常人は鈍感なんですけど。私ねえ、不整脈があるんです。中学生のときくらいから脈が飛ぶんです。トントントントン、…、あれ?どこへ行ったんだろう。トトントントンとモールス信号みたいになる。。あれ、悩んだら神経症になるんです。僕、なぜか悩まなかったんです。トンと止まって打たなかったら、わりと楽に死ねると思ったからなんです。死に方でも、フワーっと失神して死ぬでしょうから。死に方でも楽な死に方だと怖がらなかったから、だから悩まなかったんでしょう。悩んだら、今ごろしっかり神経症になって、入退院生活を繰り返しているかもしれません。精神的な症状もそうで、対人緊張はみんなにあるんです。対人緊張を恐怖するかしないかだけの違いですから、治そうと思わないで、怖がらないで一緒につきあってやって。(回答・野田俊作先生)