Q0415
アルコール中毒の担当患者についてです。今日の先生のお話にありましたが、ほんとに周囲が心配していますが、本人は食事ができなくなってもお酒をやめません。朝からお酒を飲むので、高齢者の介護サービス・デイケアサービスに行った際、食事にお酒を出さないので怒りだします。せめて朝だけでもやめてもらいたいです(野田:そんなの無理です。朝だけやめられるならアル中やめられる。)職員が注意・お説教しすぎるのも悪影響だと思っています。本人の妻が「やめろ」言い過ぎるのを、どのようにわからせるか思案します。
A0415
だいたいアルコール中毒というのは、しっかりした奥さんとの「二人組の病気」なんです。僕はアルコール中毒はあんまり得意じゃないので、得意な先生に紹介するんですが、まあ、初診でお会いすることはあります。あるおじさんは不動産屋さんなんですが、朝から飲まれるんです。朝起きたら一発。仕事はあまりなさらないんです。客もあまり来ない。実際上、奥さんが切り回している。お客が来たら、奥さんが「はいはい」と案内したりしている。奥さんはいつも怒っている。奥さんはガミガミ言う。旦那は酔っ払っていると凄い元気。ときどき酒が切れるときがあって、切れるとおとなしい人です。おとなしくなると、奥さんは一層勢いが強くなる。「反省しなさい!」。そうすると気分が悪いから、おっさんは飲むんですよ。飲むとわけがわからなくなって、これは説教してもしょうがないと奥さんは思って、夜寝てしまう。ご主人は朝起きると、「また飲んでしまった」と後悔する。あまりの後悔のつらさにもう一杯飲む。そしたらまた奥さんが怒る。そうするとまた飲むんですよ。奥さんと旦那さんとの間に、アルコールが一枚入っているわけ。だからまずその奥さんに「ご主人には死んでもらおう」と言う。あのおっさんは死んだほうが家計のためにもなる。生きてると厄介です。だから機嫌良く飲んでもらって死んでもらう。本人が生きる気になれば生きてもらってもいいけど、まあいずれどうせ死ぬから、「死んでもらおう」という方向で目標の一致をとる。そうすると、あとは最終的に酒を飲むか飲まないかということが、完全にアル中患者さんだけの課題に戻る。支援スタッフも、本人が治る気なら手伝うけど、治らない気なら手伝わない。「あなたの酒を止める気はない。あなたが自分でやめる気になれば手伝う」。これは医療の基本原則だと思う。アル中でなくて糖尿病の患者さんでも、甘いものをやめる気がない人につきまとってやめさせる気はない。あなたが死にたいなら勝手に死んでくれ。助かりたいなら手伝う。いつもそうなんです。さっきの透析の患者さんでも、イヤや言うならしょうがない。医療はいつもその人の権利です。患者さんには、自分で努力するならその手伝いをしますが、努力しない人に無理やり努力させる力は一切ありませんし、もしそこで動くと余計に話がこじれて、問題の範囲が長引く。範囲が長引くというのは、長いこと生きてるからトラブルの範囲が広がるからいろんなことが起こる。医療の基本的な手落ちです。朝から飲んで来るんだったら、ここへ来ないようにしないといけない。お医者さんも、「飲んで来るんだったら、うちでは治療できません」と。それができないんだったら、もう死んでもらいます。奥さんにもそこは了解してもらう。そうやって全体がクールダウンする。そうすると、おっちゃんひとりで残る。「なんやねん、これは」と。そうしたらほんとに考えられる。そこまでまわりがワーワー言っている間は、結局「あんた方がなんとかしてくれる」と。依存症になる人ですから、依存的体質で、自分自身で自分の問題を解決する気は基本的にない。まわりが最終的に何とかしてくれると思っている。まわりが最終的にも最初的にも真ん中的にも一切何にもしませんというのを、全員で会議をして決めたほうがいいと思う。それは医療の基本的な原則に反してない。医療というものは、道ばたに倒れている人を、通りがかりの医者が助けなければならないかという問題は、これはないんです。医療というのは、向こうから依頼があって、「助けてくれ」と言うなら助けてあげるけど、「助けてくれ」と言われないときには助けない。だから、電車の中で統合失調症のおっちゃんがブツブツ言っていても、「あんた統合失調症か」と僕は言わない。患者さんが自ら、「私はこの病気を何とかしたい」と言えば助ける。家族が言ってきても、基本的には助けなくていい。アルコール依存の場合は、ほとんど家族の方が「これ何とかしてくれ」と言ってくるけど、「何とかしてくれ」と言っている家族が病気の片棒を担いでいるわけですから、「本人が何とか言ってくるまで何ともできません」と言って、追い返すほうがどっちかというと正解なんです。その辺の整理をきちんとなされば、実はそう難しくない。その辺の整理ができないと、何をやってもうまく動かない。(回答・野田俊作先生)