19,君に侍食(じしょく)するに、君祭れば先ず飯(はん)す。

 主君と食事の席をご一緒したときには、主君が祭祀として神に食事を捧げられると、孔子は先に食事に手をつけられた。

※浩→主君に陪席して食事をする際に、主君が祭祀のお供えをされると、それと同時に孔子が食事を食べたという描写ですが、主君が神への祭祀をしている間に、孔子だけが食事を食べるのはマナーに反するようです。しかし、古注では、孔子が主君の食事の毒見を真っ先にしていたと解釈されています。新注は、『主君はまず祭祀・家臣はまず食事』という礼制の区別があったという解釈ですが、「お毒味説」のほうが美しい感じがします。たびたびご紹介している、歌舞伎の「伽羅先代萩」です。若殿を毒殺しようという陰謀を察して、乳母の政岡は若殿と同年代のわが子を「毒味役」として、御殿にはべらせて、日常、若殿の遊び相手にしています。封建時代は凄かったです。わが子を殺してまで殿様を守るというのが真の忠義だったのですから。義太夫の語りが泣かせます。「三千世界に子を持った親の心はみなひとつ。子のかわいさに毒なもの喰うなというて叱るのに、毒と見えたら試みて、死んでくれえというような、胴欲非道な母親が、またとふたりいるものか、果報か因果か、あああああっあああ……、死ぬるを忠義ということは、いつの世からの習わしぞ──」。時代が下って、太平洋戦争中だと、全国の都市が米軍の空襲を受けたとき(こんなやり方は、国際法違反じゃないの?一般市民を大量殺戮するんですから)、幼子を守ってお母さんが犠牲になったお話がたくさんあります。遺伝子は親は子を守るように設計されているはずですが、現代の親による子殺しや虐待を考えると、これも疑わしくなります。アドラー心理学で言う「共同体感覚」は、可能性は生得的に備わっていますが、育児・教育で育成していかないといけないと考えられています。フロイト心理学では、「リビドー(性衝動)」が口唇期~肛門期~男根期~潜伏期~同性愛期~性器期と発達していくのが人間の成長で、性格以上は、このどこかの時点で「固着」が生じていると考えます。人格的に一人前に成長しきれていない段階で、男女が性行為を行なって妊娠したら、母性本能は機能しないのでしょうか。高校での性教育のあり方に衝撃的な影響を与えてくださった産科医・河野美代子先生は、「性は人間関係」ととらえて、不幸な性交によって妊娠中絶に至る思春期女子の実体を講演もされ、書物にも書かれています(『さらば悲しみの性』)。人間関係ととらえるところが、アドラー心理学に似ていて嬉しいです。そういえば、わが恩師・野田俊作先生も、「大人の精神年齢は12歳で止まっている」とおっしゃっていました。世界の大人の精神年齢が「中学生どまり」ですから、それは戦争も犯罪も起こるはずです。少しずつでも、世代を超えて、人類は人格的に向上していかないと、ほんとに滅亡するかもしれません。