風邪
2002年01月06日(日)

 年末にパートナーさんの娘が風邪をひいて声が出なくなった。彼女は治ったのだが、今度は私が、一昨日から咽喉が痛い。熱もないし、そうダルいこともないのだが、咽頭痛が気になってなんとなくグッスリ眠れないし、日中もなんだか頭がボケている気がする。
 それでも昨日は宴会をこなして、今日は登山だ。今朝、旅館で朝日新聞の朝刊を読んでいたら、「天声人語」に、風邪に対する3種類の対応法が書いてあった。
 丁重にお迎えする。できるだけ相手(風邪)を刺激しないように、静かに横になって退去を待つ。
 闘う。医者か薬局で薬を手に入れ、症状を抑え込む。
 気がつかないふりをする。「例によって一杯いきますか」などと独りごちながら、酒場に駆け込む。杯を重ねるうちに病気だか何だかわからなくなる。
 今回は、3だな。論文を書かなければならなかったし、昨日は宴会だし、今日は登山だし。いちおう「葛根湯」と「フィニッシュ・コーワ」は使っているが、強烈な薬は使っていない。なあに、こんな風邪、どうってことないさ。
 そういうわけで、ちょっとした縦走登山をしてきた。山にいる間は、とても元気だった。咽頭痛もないし、身体の感じも普通だ。ところが、山を降りてバスに乗ったとたんに、咽喉が痛くなり、そのうえときどき咳が出る。不思議なものだ。気が緩んだとたんに症状が悪くなるんだな。



夢の中の大発見
2002年01月07日(月)

 昨夜は登山の後で疲れていたので早目に眠った。風邪のためか、ここ数日、眠りが浅い。「葛根湯」の副作用かもしれないと思い、薬を飲まないで寝た。けれども同じことで、なんだかわけのわからない夢を見続けて、とても寝苦しい。最近、社会構築主義だのポスト構造主義だのの本をしこたま読んでいるためだと思うのだが、なんだか支離滅裂な夢なのだ。ああした本は、読んでいるうちに、一切は言語が作った幻想のような気がしてくる。現実世界なんて、実際には存在しないのではないかという気もする。すくなくとも、善悪真偽を判定する基準なんてないのだということは深く納得してしまう。起きているときでさえそう感じるのだから、夢ではそれがもっとひどくなって、デッサンの狂ったわけのわからない世界でのたうちまわることになる。
 そのうち、「自殺は現実的だな」と夢の中で思った。そうだよ、自殺すれば死ぬものな。死ぬってのは、なんにせよ現実的だよな。構成されてないよな。だって、死んじゃうんだもんな。「じゃあ、自殺しないで生きているというのも現実的だな」と、続いて思った。おっ、ちょっとデカルト風だぜ。そう思うと、なんだか落ちついてきた。「自殺しないで生きているということは、生きていることを積極的に選択しているわけだ」と思う。ちょっとうれしくなる。「同じ論法で、人を殺さないでいるというのは、人を愛するということの始まりなんだ」と思う。これは、目覚めて考えると妙な理屈なのだが、夢の中では深く納得して、すっかり安心した。それから朝までぐっすり眠れた。
 夢の中でよく大発見をするのだが、起きてから考えると、たいしたことはない。むかし、『日経サイエンス』かなにかに、「起きている間は垂直思考(=論理的思考)をしているので、脳の水平思考(=直感的思考)の回路が萎縮する。そこで、萎縮を防止するために、眠っている間に水平思考の回路を掃除する。それが夢として見える」という論文を読んで、納得したことがある。こんなの思弁で、ちっとも科学的じゃないのだが、でも夢に関する諸学説の中ではもっとも説得力があると思う。フロイトやユングが言うような「無意識からのメッセージ」なんかじゃなくて、掃除の埃なんだ。そう思えば、深刻にならないで楽しめる。



原稿の書き方(2)
2002年01月08日(火)

 昨日、論文の原稿をtxtファイルで編集長に送るのと同時に、直接印刷担当にメールで送ったら、今朝、印刷担当からpdfファイルの校正刷が届いていた。出版するときの体裁にちゃんとレイアウトしてある。午後から編集部の人と会うと、「そうか、こんなに速くできるのね」と、不気味な笑いを浮かべていた。いつもはもっと時間がかかるようだ。これから編集部から印刷担当への催促が厳しくなるかもしれない。悪いことをしたかな。
 短い時間で書きあげてしまったので、醸し出す時間が少なくて、いくらか心残りがある。いつも書くのにはそんなに時間がかからないのだが、書き上げてから1週間くらい置いておいて、それからもう一度点検する。そうすると、いろいろ気がついて追加できたり、逆に余計な部分を削除できたりして、すっきりと仕上がることが多い。しかし、今回はその時間がなかった。そのため、もうすこし書き足したいことがあるような気がする。けれども、これはかえっていいことかもしれない。だって、次の論文につながっていくもの。1篇で完結してしまうと、次を書くのにまたゼロから考えはじめないといけない。けれども、書き足りないことがあると、補足を書くつもりで、きっと結局は新しいのが一報書けてしまうと思う。今までもそういうことが何度かあった。
 ともかく仕事が一段落ついたので、参考文献を職場へ運んだ。カバンに詰めて電車で運ぶので、今日一日で三分の一しか運べなかった。今週中にはすべて運んで、次の仕事のために別の本を持って帰ってくる。飽きっぽいので、同じテーマの仕事を続けてするのが嫌いだ。違う仕事をしばらくして、それからまた今回のテーマに帰ってくるだろう。浮気っぽいんだな。