Q
19歳の息子が、「自分が何になりたいのかわからない」と言います。頭だけはいいです。でもそれが見つからないため意欲的に進むことができません。今日のお話のように「人のために生きる」ことを理解すれば、進んでいけるのでしょうか?19歳でもハートを育てるのに間に合いますか?
A
間に合いますが、この親はどう思いますか?自分自身は。自分自身は「人のために生きていこう」という請願ができているか。これは凄い難しいことです。今の時代に「人々のために生きていくぞ」って誓いを立てるというのととてもハードなんです。だって、人々って誰かわかんないんだもん。僕たちの二世代上の人たちが国のために死ねたのは、あの人たちにとって「国」っていうのは、きわめてわかりやすいもんだったんですよ。家族・親戚・村の人も。日本の兵隊って田舎のおにいちゃんだったんです。田舎のおにいちゃんにとって、国って目の前に見えている「日本昔話世界」だったんですよ。だから彼らが人々のために生きるときには、うちのお母ちゃんお父ちゃんとか親戚のおばさんとか、隣のおじさんとか斜め向かいのミヨちゃんとかが、ちゃんと頭に浮かんだわけです。そこでは、その人々のために例えば自分が死ぬという決心が簡単にできたんですが、今大体われわれはどこにいるの?僕ねえ、十五階建ての立体長屋に住んでいるんです。そこにいる人たちを少ーし知っています。一応エレベーターで会うと「こんには」と言ったり、「ちょっと暑くなりましたね」と言ったり、「失礼します」と言っている程度に知っている。年に2回か3回か行事があって、お餅つきとかお花見とか自治会がやるのがあって、そういうのも出られるときは出ることにしているんですよ。私は比較的「正体不明人物」だと思われているだろうなって思うの。大体、おっちゃんが一人で暮らしているでしょう。夕方なんかに太った女の子が入ったり出たりしているけど、あれは娘です。顔が私がモデルみたいだから娘だと思うけど、まあ一人で暮らしています。出勤時間がわりと遅いんですよね。お昼ごろに出てくるでしょう。服装がちょっとまっとうなサラリーマンと思えないフシがあるんですよ。土日によく留守なんですよ。そのへんを近所のおばちゃんたちは、よく観察してるんです、みんな。だから不信人物だと思われているフシがだいぶあるので、なるべく町内会は出ようと、それで一応善良な市民なんだとアピールしておこうと思っているんだけど、おかげさまで同じ階の人たちからは、例えばもと全学連の闘志で部屋で時限爆弾作っているのでないとだけはわかったみたい、みんなに。私の年頃ってやヤバいんですよ。もと「何とか崩れ」でね、そういう人たちがいないことはないから。その中でじゃあ国って何かというとね、凄い抽象的でわかりにくい。人々って誰かというとわかりにくいんですよ。その中でそれでも僕たちは決心していかなきゃいけないんです。この無名性の世界で。名前を知らない世界で。名前を知らない仲間のために生きていこうねって親が決心してると、子どもも決心できるようになります。親がマインドやボディのレベルで、身の安全をはかる、収入を確保して安定した生活を維持しようとさせるようなヴィジョンで暮らしていると、思春期の子どもは辛抱できないんですよ。僕らは感受性がすり減っているから、それでもごまかせるんだけど、若い子はそれではごまかせないんですよ。だからまず、親とか教師とかがどれだけ燃えているかだと思うわけ。だいたい私こんなんですから、うちの子どもたちからいつもあきれられているんです。「熱いね」って。なかなか大変みたいよ。でもそのほうが全然志(こころざし)のない親よりもしのぎやすいんじゃない?(野田俊作)