Q すぐカッとなる自分
感情的にならないで、相手の話を聞いて自分の意見を伝えるというのを、現在の自分の課題にしていますが、なかなか実行できません。30歳で第一子を生んではじめて自分に気づきはじめました。いろいろと心理学に興味を持ち、努力しているところですが、カッとなってしまう自分とのつきあい方を教えてください。
この状況に至るプロセスについては野田先生の『トーキングセミナー』を読んで知りましたが、すぐに忘れてしまい、こういう怒る状況が何回かあります。
A
だって怒るのは、目的はほとんどただ1つ。相手を支配することでしょう。それ以外に理由はない。まず自分がどんなに人を支配したい人かを考える。
他の人を支配する欲のことを、アドラーは“権力への意志”とか“力への意志”と言ったんです。権力を持つこと、人を支配することっていうのは、快感の中で一番大きな快感です。お酒を飲むよりセックスするより、他人を完全に支配するのが一番望むこと。だから一番犯罪的です。犯罪というのは、他人を支配することと多かれ少なかれ関係している。最も凶悪な犯罪は殺人ではなくて「独裁」ですよ。ヒットラーやスターリンみたいな。あれは“権力への意志”が最も開花した形でしょう。
僕たちは、だから、自分の中にある犯罪的な力、人を支配する力と絶えず向かい合っていないといけない。これは人間に本能的に存在する力です。これがなくなることはない。なぜなら、これは良い力でもあるから。それが人間を生かしている力、それが人間を発展させる力でもあるから。でも間違って使われると危ない。エネルギーですから、何しろ。そのエネルギーが間違って使われている状態が怒っている状態なんです。
アドラー心理学をすごく好きなのは、そういう「権力への意志」というような凶悪な力が人間の中にあるのを認めていることです。性善説ではない、決して。人間を動かしている力は、支配欲、性欲、金銭欲、名誉欲とか、そういう力が人間を動かしている。人間にはそもそも善なるものが先天的に備え付けであるわけじゃない。
ただその「同じ力が建設的にも使える」と思うんです。油断すれば破壊的に使われるけど、気をつけていれば、それはエネルギーなんだからうまく使える。ガソリンみたいに。人にぶっかけて焼き殺すこともできるが、それをもっと建設的に使うこともできる。目標追求の力を建設的に生かすことができる。だから、動機が不純だからといって行為が不純とは限らない。自分の動機が不純なのを恐れなくていい。
怒りは支配的な欲求を間違って使っている。支配的な欲求をもっと正しく使うにはどうすればいいか。支配をやめようと思わなくていいんです。
相手にとっても私にとっても全体にとっても効率的な支配って何なのか?アメリカの用語で言うと、民主主義的リーダーシップとは何か?日本の民主主義はアメリカ人から見ると無政府主義です。アメリカの大統領には拒否権がある。国会の議決した法案に「ノー」と言える権利です。日本の総理大臣にはない。アメリカの大統領は、国会の議決に反対してものを決める権利はない。でも、駄目だ、その法律は認めないぞ」と言える。これって、日本人から見ると強烈な独裁に見えるけど、アメリカ人はそれを民主的なリーダーシップだと言う。日本の民主主義は、要するに誰も責任を取らない主義、誰も決定しない主義。それはかつて強烈な独裁支配をやった経験から、支配を悪だと思ってしまって、完全に無支配、無政府状態になっている。それはまずい。みんなが責任を持って共同体を担っていく決心がいる。
その中で、怒りはまずい方法です。怒りは、全体を建設していく中で、ムチャクチャ下手な原始的な方法です。人間が発達してくる中で、赤ちゃんはあんまり行動レパートリーがない。喜ぶ、泣く、怒るくらいしかレパートリーがない。何階建てにもなっているビルみたいなもので、一番上ほど新しく学んだ行動が入っていて、底になるほど古く学んだ行動が入っている。怒りはその中ですごく古い行動です。子どもも怒りますからね。怒りをいつも使っている人は、だから、子どもっぽい問題解決の仕方に固執している人なんです。そこから抜け出そうと思ったら、もっと大人っぽい問題解決の仕方を覚えないといけない。怒りを抑圧するだけでは何も起こらない。最終的に何を達成しようとしているのか、怒りを使って何を達成しようとしているのかをよく考える。
子どもに部屋を片づけてもらおうと思っている。子どもに部屋を片づけてもらうのに、カッとなって怒るのは子どもっぽい方法で、たくさんの副作用がある。罰を使って育児するのは、メチャメチャたくさんの副作用がある。百害あって一利なし。絶対にやめたい。
じゃあ、子どもを教えたり導いたりするのをやめたいか。そんなことない。アドラー心理学は教育的心理学です。いろんなことを教えたい。いろんな協力を頼みたい。別の言葉で言えば、子どもを支配したい。でも、怒りとか罰で支配しないで、協力してもらいたい。
自分が達成したいのが、例えば、お部屋を片づけるというのであれば、それじゃあ、子どもが片づけなきゃならないかどうか考えたい。私1人で片づけても悪くはないと思えたらそうすればいい。私1人で片づけるとムカムカと腹が立つとする。その怒りって今度は何をさせようとしているか考える。私じゃなくて子どもにさせたい。なんで子どもにさせたいか?そのほうが正しいから。怒りはいつも「正しい/間違い」と関係してくる。1つは他人を支配することと関係している。2つ目は正邪善悪と関係している。
アドラーの考え方は「価値相対主義」です。絶対的な正邪善悪はない。いつも「便利と不便」しかない。みんなが生きていく上で、より便利なやり方とより不便なやり方がある。より便利なやり方を選択したい。そこで、子どもに片づけさせるのと私が片づけるのとどっちが便利かと考えてほしい。私が片づけるのが便利なら私が片づける。一緒に片づけるのが一番便利なら一緒に片づける。
怒りっぽい人はどこまでも怒りっぽい。支配するのが好きな人が多いですから、時間がかかります。少しずつ克服してください。(野田俊作)