Q683
私は訪問看護をしていて、本日のテーマは私の課題であるので、参加させていただきました。ここ50年の間に、在宅死から病院死が増え、日本の死は病院死のようになってきました。しかし在宅で最後まで生活したいと思う人が多いので、そういう方を在宅に戻れるように、ご本人ご家族を勇気づけてあげたいのですが教えてください。それから、癌の疼痛緩和にモルヒネ剤を使っていますが、いまだ麻薬に関しての偏見があり受け入れに迷われる方が多く、今日野田先生も同じことを話されたので驚いたのですが、まだ身体面の痛みの緩和、また死についての会話ができないように思います。告知され短期間で亡くなる方も見られ、死について会話するタイミングに迷います。また告知されていない方には死についての会話をどう進めていけばよいでしょうか?
A683
麻薬から話すると、僕、瞑想者なんですよ。絶対イヤなのが意識を落とすことなんです。意識さえあれば痛みは恐くないんです。昔、男の人の乳癌で、男性の乳癌というのがあるんですけど、男性の乳癌て痛いんですよ。すぐに肋間神経に侵入するので、きっと猛烈痛い。その方は長いこと参禅をされていて、お坊さんじゃなくて在家の方ですけど、もう癌が外から見えているんです、潰瘍になって大きなのが。どうしようもないんですよ。それで回診して「どうですか?」と言うと、「ああ、痛いですね」とおっしゃる。「鎮痛しますか?」と言うと、「鎮痛はいりません」と言うんです。「痛くないですか?」と言うと、「とても痛いです」と言うんです。ね、だから意識さえあれば堪えられるんです。それはもう瞑想している人はみんなそう思うんです。意識を下げることだけはしたくない。アルコールであれ麻薬であれ意識が下がるであろう方向のことは、僕たちの体験のチャンスを奪うから。ほんとはみんながそこまで成長してくれるといいんだけど、なかなかみんなそこまで成長しないから、次善の策として鎮痛はやむをえないと思いますが、鎮痛を全面肯定するわけにいきません。ちゃんと目ざめがあれば、痛みはただ痛みなんです。そこに何にも付いてない。「このさきどうなるんだろう?」はついてない。「もっと悪くならないかな?」は付いてない。ただ、今ここで痛いだけなんです。今ここで痛いだけだと堪えられるんです。そこにいろんなものをくっつけるから、僕らがそれに対して扱えなくなっちゃうんだと思う。虫歯痛んだりときどきお腹痛んだりするじゃないですか。そのときにお稽古をします。「どこが痛いのかな?」って。ずっと「痛みはどこかな」っていうのを見てると、だんだん痛いところがわかるんですよ。このごろ、下顎の三叉神経の流れがわかるなあと思うくらい、パチッと痛いんです。だんだん痛みが強烈になり大きさが小さくなり、「ああ、ここのこの神経が痛いんだ」とわかるの。ボーッとしていると、顔面の右半分全部痛かったりするんだけど、実はそうじゃないんだなって。それはねえ、痛いけどただそれだけのことですわ。そのへんが、今、精神のことについて僕らが無視したというか軽視したというか修業しなくなったというか、憧れなくなったというか、全然違うことを考えていると思う。西洋の科学は、人間の精神についてほとんど何も知りません。東洋思想は人間の精神についてほんとに詳しく知っていると思います。東洋人たちが「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言うんならそうです。それは認知にすぎませんから、われわれがちゃんと目が覚めて、そのことに向かい合えばそんなに痛いもんじゃありません。とまあ一応思うので、わたくし私自身は鎮痛についてあんまり熱心じゃないんです。患者さんについても、中毒量まで麻薬をあげることについて、あんまり賛成じゃないんです。もうちょっと意識がちゃんとして自分の死を向かい合えるほうがいいから、恐怖というバカげたものがわたくしの中にないということを知ったほうがいいから。恐怖心とか不安とかいうのは私ではないんです。すべての感情やすべての思考は私じゃないんです。瞑想すればすぐわかるんです。そのことを知ってほしいです。そうしたら私はそういう感情や思考から自由にいることができて、で、自分のやることを決めることができるからね。まあ、人に強制しませんが、はい。
それはそれとして、家で死ぬほうがいいですね。家で生まれて家で死ぬ。家族の中で出産があって、家族の中で最期を迎えるのがいいです。そのためのインフラ整備をしないといけないと思います。これもまあ、政府と病院の側の都合で、病院で死んでもらったほうが便利だと思い、家族も家族の都合で、家でじいちゃんばあちゃんに死なれたらかなわんと思い、ちょうど利害が一致して病院死をするようになりましたけど、やっぱり「畳の上で大往生」というのを理想にしておいたほうがいいです、ほんとはね。だからなるべく家で死ねるようなシステム整備も一方でいると思うし、それからみんなの意識の成長もいると思う。家族の問題として、死を一緒に死んでいくのにつきあおうと、それは悲劇的な出来事ではなくて、子どもが産まれると同じようにおめでたい出来事ですから、おぞましい僕らが目を背けたくなる出来事じゃないんだよとわかっていけば、もうちょっと動き方が違ってくるんじゃない。この方も、緩和ケアに関して、死への恐怖とかいうものが当然あるものだというところから話を始めているところが盲点だと思う。死というのはおぞましいものでも、目を背けるものでも、恐いものでもなくて、日が出て日が没するように普通に起こる自然現象なんです。その中に痛みがあるだけなんです、たまたま。だから、ビクビクしなければ、そんなにもの凄い鎮痛をしないといけないことは、普通ないと思う。