Q674
代理出産、臓器移植についてどうお考えになりますか?私には孤立した個人を生き延びさせる手段として受け取れないのです。
A674
そうですね。共同体全体として、人類共同体全体としてやっぱりものを考えたいと思うんです。ある人を共同体全体が生き延びてほしいと思うことって、普通あんまりないんです。まあ1人くらいいいんじゃないとみんな思うわけよ。で、親とかが自分の子どもを生かしたいと思うんですね。親が思うのは、今は欲だとかわがままだとか思わない美しい理屈がついたんです。「そんなん言うけど、子どもはみんな死ぬよ」と言うと、「あんたうちの子どもの生きる権利を奪うんですか」と言う。そんなもんはじめからないって。生きる権利なんか誰にも。「私は他人の生きる権利を認めるけれども、本人は自分の権利を主張できない」と、レビナスが言いました。そのとおりだと思います。子どもの生きる権利をあなたが奪うのはよくない。あなたが殺すとかいうのはよくないけど、子ども自身が主張することはできない。まして自然に対して、自然の摂理に対して権利主張なんかできない。だって権利というのはあくまで法的な概念で、契約的な概念で、「私はあなたの権利を侵しません」という人間と人間の契約にもとづいてできることだから、自然に対しての権利なんて契約がないから主張のしようがないんです。だから自然がその子を殺すと言うなら殺すんです。それを自然の摂理を曲げてまで生かすのはよくないです。僕だって病気になって、お医者さんが「何か冠動脈が古くなっているから手術しましょう」と言ったら考えます。そうやって冠動脈の手術してもらって生き延びるのが私の自然治癒力を延ばす方向なのか、それとも自然治癒力関係なく無理無体にロボットのように生きているのか、どっちだろうか?冠動脈の移植だったらしてもいいな。ペースメーカーだったらちょっと考える。どうしようかなあ?それもひょっとしたらしてもいいかもしれんけど、心臓移植は絶対イヤ。それは完全に自然治癒力を超えたところへ持っていく医療だから、それは私のエゴだと思う。そこで僕の生きる権利なんか主張できないから、立派に死にましょうよ。子どもを何としても臓器移植して生かしたいとか思う親が美しい理屈がついて、それに誰も反論できないのはどうしてかというと、そういうことを学校とかマスコミとかが国民に教育しているからじゃないですか。言っている側も言われている側もそれが当たり前だと思っているからじゃないですか。そこのところをもう1回みんなで反省して、例えば学校教育の中でいわゆる「人権教育」をやめるべきです。人間の権利についての考え方を、哲学者というのいつも時代より50年くらい早くものを言いますから、何人かの哲学者がそういう人権について疑問を持ちだしてまだ5年とか10年とか15年しかたっていないから、今のところしょうがないから、これから先の方向として、「人命尊重」というのはどういうことなのか?それは「私の命を延ばしてくれ」という意味じゃないんだ。それは他人の命を奪ってはいけないということ。しかも、他人の命を奪っちゃいけないけど、他人の命を延ばすことじゃない。人間はみんな死ぬから。というふうに教育とかマスコミの論調を変えていかないといけないと思う。不妊治療とかに関しても、「子どもを産む権利」とか「子どもを持つ権利」なんかないんです。その権利は誰に向かって主張しているのか考えてほしいんです。およそ権利というのは人間と人間の社会契約にもとづいて出てくるもんだから、子どもを産む権利というのは社会契約と何の関係ない自然に対する主張じゃないですか。ということはそんな権利はないんです。極端な不妊治療反対。