語りえないもの(5)
2001年04月08日(日)

 関西では桜が散りはじめた。むかし、『天と地と』という上杉謙信を主人公にした映画を、息子と二人で見に行ったことがある。その中に、桜の花が散り敷く場面があって、ひどく感動した。
 その息子は24歳で死んでしまった。明日が命日だ。息子が死んだ年は、桜が咲いてから寒い日が続いて、いつまでも散らないで咲いていた。11日が葬式だったのだが、桜は満開のままで残っていた。私はひたすら泣いていた。
 息子がまだ小学生のころ、妻と別居した。息子は妻の側で住んでいたが、中学生になって、私のところへ来た。男の二人暮しだったから、そんなに話をしたわけではないが、仲はよかった。言わなくてもわかりあえることがたくさんあったと思う。十年以上、二人だけで暮らした。彼の人生の半分は、私と二人の生活だった。
 息子と一緒に暮らした日々も、彼の死も、彼の思い出の中で生きている今も、私にとってはある種の「聖なるとき」なのだ。こういうことを語っても、誰もほんとうにはわかってくれないことを私は知っている。これは、きわめてきわめて私的な体験なのだ(浩→ほんとうにはわからないのですが、私は読みながら涙ぐんでしまいました。肉親の突然の死に共感はしますから)。
 「聖なるとき」というのはそういうものだ。イエスの体験を、われわれは追体験できない。ゴータマの体験をわれわれは理解できない。しかし、私は自分の体験から、彼らも、語りえない悲しみがまずあって、それで語りえない美しさに出会えたのではないかと思っている。
 毎年、桜は咲いて桜は散る。そのたびに私は息子との日々を思い出すし、美しい悲しみ、あるいは悲しい美しさ、のなかで、生きていこうと決心する。



ヒエロファニー
2001年04月10日(火)

 ゴータマは、エリアーデがヒエロファニー(聖体示現)と呼んだものが来るのを待っていた。結局それは、六年間におよぶ苦行によっても来なかった。そこでゴータマは苦行を捨て、川で沐浴(もくよく)し、村娘(=スジャータ)がさしだすヨーグルトを飲み、菩提樹の下に座った。このとき、ゴータマは完全に絶望していたと思う。そのまま死のうとしていたのだろう。そうして、すべての渇愛(求め)が消えたとき、それはやって来た。
 仏伝を読むと、このときゴータマが死のうとしていたとは書いていない。絶望したとは書いているけれどね。さらに、仏伝を正確に読むと、沐浴や女性を見ることや食事をすることがヒエロファニーにつながるとは思っていなかったとことがわかる。じゃあ、彼はなぜ沐浴して女性を見て食事をしたのか。それは、すべての意味を失っていたからだ。だから、死のうとしていたのだと私は言う。もっとも、「死のうとする」と言っても、積極的に自殺するわけではなくて、生きるための一切の努力をやめようとしたということだが。
 仏伝には、むしろ、ヒエロファニーが起こってから、そのまま死のうとしたと書いてある。じゃあ、起こる前はどうだったのか。ヒエロファニーが起こってからさえ死ぬのであれば、起こる前は、もっと死ぬ理由があったのではないか。正確に言うと、生きている理由がなかったのではないか。
 生きていることを断念しないと、ヒエロファニーは起こらない。しかし、積極的に自殺しようとするのは、それもまた渇愛(死への渇愛を無有愛という)であるから、ヒエロファニーは起らない。生をも断念し、死をも断念したところで、それは起こる。
 なぜこんな話を書いているかというと、ある読者から、上座仏教のスマナサーラ長老の瞑想会に出て、「目的を設定しようとしているからダメ」と言われたというメールがあったことにちなんでいる。その人への答えということではないのだけれど、ふだん考えていることを書いた。