Q
 今日のお話を聞いて自分の傲慢さがよくわかりました。ありがとうございました。しかし家に帰って夫を見ると、やっぱり不安な気持ちが湧いてきます。そんな夫と一緒に仲良く生きていけたらよいのでしょうが、頼りないだらしのない夫が、どうしても将来が不安になって仕方がありません。将来苦労したくありません。だから今イヤな仕事を辞めたいけど続けています。将来苦労することを受け入れることができたら夫と仲良く暮らせるでしょうか?スピリチュアルワークやアスミに行けば、自分を変えることができるでしょうか?イヤな仕事を我慢して続けていると自分が何のために生きているのかわからなくなり、だんだん虚しくなってきます。生きながら死んでいる感じがします。こんな自分では子どもに良くないので何とかしなければと思うのですが、自分ではどうしたらいいかわかりません。

A
 私は脱サラをした経験があるでしょう。前、国家公務員医療職だったんですよ。お医者さんとしても国家公務員、これは良い待遇でね、あまり大きな声で言うたらいけないんですけど、デパートの割引券とかお芝居の無料券とか来ましてね、おいしくて辞められない仕事なんです、結構。共済年金も厚生年金に比べるとずっと率が良いし、「お役人様」というのは良いお仕事ではありました。辞めるときに今度、保険証が「社会保険」になるじゃないですか。社会保険を持っててね、保険証の番号は僕、1番。社会保険で1番と言ったら中小企業の親分に決まってるじゃない。ヤクザさんも社会保険の1番なんですよ。何とか組の。まあヤクザの親分の顔をしていないからいいけど、「中小企業の親分やなあ」と、財津一郎さんみたいに社長と専務の2人でゴルフに行って、「社長!」なんて言われてるんやなと思われるやろなというあの虚しさ。まあそんなんいいけど、やっぱし生活が不安定じゃないですか。今はね、僕思い上がってますから、僕が元気な間は暮らせると思ってるんですが、病気になるかもしれんじゃない。半身不随になってしゃべれんようになるかもしれんじゃない。そうなると飯の食い上げですよ。そりゃ不安ですよ。不安ですけど、この世界が私を必要とするなら、私に健康をくれるだろう。ここのところを狂信的にならないとしょうがないじゃない。「私が必要とされている限りは私は動けるだろう」って、まず信念を持たないとしょうがないと思ったんです。だから脱サラをすることにしましたし、今もやっぱりそう考えます。だんだん年をとってまいりまして、これから将来、いつ何があるかわかんないけれども、いよいよ死ぬときになったら仏様が、「もういい加減仕事終わったからこっちへおいで」とおっしゃっているので死ねばいいわ。生きてるということはまだ仕事あるからもっと働けということなんです。半身不随になったら、半身不随になる縁があってなってるので、そのときはそのときで何とかなる。こう思ってそこで開き直ってしまわないとしょうがないと思う。そのへんの開き直りは、スピリチュアルワークやアスミでできるかもしれん。性格が変わるかどうかは知らんけども、ケツまくって開き直るお手伝いならできるかもしれません。そのつもりでならどうぞ来てください。