いただき物 おもひで
その頃の状況がうかんでくるような
そんな日記、あたたかいですね。
方言がいいですね。
| 銀 杏 取 り ある秋 ”ああちゃん”が、ぎんなんの実を三粒くれた。 「ああちゃん これ食えるんか」 「おお ひさ 風呂をたくとき 最後にこいつを残った灰に入れたら焼けるけー せえを食うたら うめーで」 ・・・・・ 「ふーん ほんならありがとう」 そこで風呂焚きの後 さっそくポケットに入れていたギンナンを 火の中に入れ たんジャ。 しばらく経ったときこのギンナンが、 ”パン パン パン”と大きな音を立て てはじけたんだよ。 もうびっくりしたなー。 あわててワシは、ギンナンを探したよ。 あったあった、ギンナンの実が 緑色のギンナンの実が湯気を上げていた。 灰の中からそっと取りだしたよ。 手のひらの上にあるギンナンの実は、とても 熱かった。 ころころと転ばしながらふーふーと息をかけ急いでさまし口にほおばった。 あちーあちー べろを、はふーはふーさせながら噛んだのよ。 お お こりゃーうめー あち あち うめー うめーなー ある日、”ああちゃん”に言った。 「ああちゃん ワシもギンナン捕りに連れて行ってくれー たのまー ギンナン はうめーなー」 「ボスがええ言うたら 連れてったらー」 そんなこんなで、ああちゃんの親分と一緒に青江の八幡様に連れて行ってもら った。 青江の八幡様には大きな銀杏の木が数本あった。 ここまで来るのに人絹道路を横切って来るのだから大変な遠征になる。 しかもミカン箱を担いでいくのだが、オレの役目はそのミカン箱を担いでいく 役目だ。 ・・・ ちいせーワシにゃー こりゃもう大変よ。!! 八幡様につくと、ああちゃんやボスは銀杏の木に登る。 ここでワシの役目は、ああちゃん達が落とすギンナンの実をミカン箱に拾って 行く役目だ。 ところが、ギンナン実は漆のように素手で触るとかぶれるんだよ。 そこで、その辺に落ちている枝を利用して箸を作ってそれを利用してミカン箱 に入れていく。 ・・・・・・こりゃ大変よ!!! 「ひさ ちゃんとひろーとけーよ」 上から大きな声で怒鳴られるんだ。でも とうとうミカン箱にいっぱいになった。 「おーい もういっぱいになたでー」とワシは言った。 さあこれから帰途につくが、いっぱいになったミカン箱を持つのは”ああちゃ ん”やボスだった。 おめーにゃー無理じゃろーけー と言う ボスどもの判断であろー。 先輩どもの後について帰るのである。 ワシも、はよー 木に登れるようになりゃなーいけんなー と、思いながら帰る帰度は楽しいものである。 さあ、そのギンナンだが、ボスは旭川にドンゴロスに入れ果汁を腐らせ実だけ にするのだ。 その後、ワシにも分け前として両手いっぱいのギンナンの実をくれたのである。 もう うれしくて うれしくて これから毎日風呂焚きをしてギンナンを食わにゃー 風呂焚きが楽しいでー と思った。 今になって思えば、ギンナンが食いたいために風呂焚き(仕事) が出来たと思う。・・・・・!!!??? (親父にはないしょ)よ 一途になる良い経験だったと思う。 ハ ハ ハ ○○ 記 |
| 人生50年・・・・・・!!? と 人は言う。 ”じんせい ごじゅうねん げてんのうちを くらぶれば ゆめ まぼろしのごとく およそ このよに せいをうけ ぼっせぬものの あるべきや ” これは、信長が生涯を通じて謡った『敦盛』と言う能の曲名である。高校生だった私が、 テレビで初めて知った人生の目標とできるものであった。おそらく当時の戦国時代の五十 歳という歳月は、生き延びるのに至難のことであったろう。この謡を思い出すとき、私は、 亡父を思い出す。まだまだ小さいときのことである。おやじは、こういった・・・。 「”ひさ”おせになったら あたまをつこーて しごとを せーえよ もし おめーが あんまり かしこー ならなんだら みを こにして はたらけーよ せーが おとこなんじゃけーの 」 そこで、私は おとーちゃんに 聞いた。 「”おとーちゃん”しゃーけーど わしゃー そねん べんきょうするのは きれーじゃ おとーちゃんみてーに あさの三時から ばんの五時まで はたらくのは てえぎなー そんなこと わしゃ いやじゃのー。 せえじゃったら わしゃー どねんなるんなら」 「そりゃー ”ひさ” にんげんが くずになるこっちゃーねーか たのむけー くずだけにならんよーに がんばってくれにゃーこまるが せーじゃーねーと びょきのおかあちゃんが なくじゃーねーか 」 こんな話だったと、今思う。 さて、この二つの話を思うとき、いかに先君が一生懸命、精一杯生きることを教えてく れているかを思う。この私もとうとう五十歳をこえて”いぞじの旅”も半ばにさしかかっ た。年を取ったことを憂うのでなく、さあこれから「おめえ」は、何をするのか、どうし て生きていくのか、どう生きるのか、おめえは自分の子供にこの事を伝えたか、・・・を。 墓参りの時目をつぶった。親父のことを思いだした。若いときは働きずくめで鬼の靜吾と 言はれた人だと聞いているが、私にとって仏のいい親父だった事になる。この年になって ようやく思う。生涯、父との約束を果たしていきたいものだ。「親父、あの世から見て今 のわしは、くずになりさがっているか? 」と、心でつぶやいた一瞬だった。 ○○ 記 |
| ぼくのおばあちゃん お母ちゃんが病気になってから 小学校の参観日に来るのは決まって叔母ちゃんかお婆 ちゃんだった。四年生のころの事をいまだにおぼえている。こんな事だったと思う。 お婆ちゃんは、とても優しい くしゃくしゃの顔をしていた人だったと記憶している。 何でも教えてくれた。米の炊き方・魚の料理・障子の張り替え・廊下の掃除・風呂の炊き 方・コタツに入れる炭の入れ方・海水浴に行くときの甘茶の作り方・布団のひき方 など ほんとに色々だった。しかも、寝るときは一緒に布団に入って桃太郎やあまのじゃくの話 をしてくれた。そんな記憶が今でも残る。 ”垂乳根の母” という言葉があるが、僕に とっては ”たらちねのばあちゃん” だったようである。もっとも、四年生のころは一人 で寝ていたようだが! 四年生の担任の先生は小西先生だ。大きなめがねを掛けた先生だった。この先生のさる 参観日の出来事である。友達の若いお母さんが一杯教室に来た。授業が始まったころ僕の お婆ちゃんも教室に入ってきた。普通に見たらちょっと場違いの人が入ってきたようだ。 先生も緊張しているのか いつもとちょっと違う雰囲気で授業をした。 わしは、後ろをふ り向いてお婆ちゃんの顔を確かめた。 お婆ちゃんもちょっと おめかしして来ていた。 ”あ、おばあちゃんもきれいにしとるは”と、ちょっと変な気持ちになった。先生は、淡 々と授業をしていた。何の科目だったか忘れた。そんなときだ 「 何をきょろきょろしとんなら 先生の言うことをちゃんときかにゃー 」 と声が聞こえると同時に 後ろ頭にげんこつが 落ちてきたんだ。 一瞬教室が、しーーんとした。 先生は目も口も大きく開けて ポカーンとした顔をした。 お婆ちゃんが、わしの頭にげんこつを入れたんじゃ。 ”いてーー え ” ”みんな みとるでー わー はつかしいなー ” はずかしさのあまり、顔が真っ赤になるのが自分でわかった。 どうやら俺は、授業中にきょろきょろしていたのだろう。そんな俺を見て婆さんは、孫 のために親代わりとして精一杯の行為をした。婆さんも辛かったろう。普通なら孫はかわ いくて手を出さないものだが、僕の婆さんは偉かったと思うよ。 ○○ 記 |